シーボルト記念館を訪ねて
( 2000/10/18 )
▲レンガ造りのシーボルト記念館
おくんちが終わり長崎は本格的な秋に入りました。読書の秋、芸術の秋、 食欲の秋といわれる中、私は毎年“食欲”だけを謳歌。そんな色気のないこと ではいけないと、今年は郷土の歴史を振り返る勉学の秋にすることに…… なあんて、実はこのコラムのネタ探し。そこでまずは近場から攻めていこうと、 我が家から歩いていける「シーボルト記念館」へ行ってみることに。 新大工〜 桜馬場〜鳴滝と続く「シーボルト通り」と呼ばれる石畳の道の先に記念館は あるんだけれど、この通りは当時シーボルトが、出島〜鳴滝塾を往来した 道筋だとか。記念館は中島川の支流、鳴滝川添いの緩やかな坂道の途中に あって、館内には当時シーボルトが使ったいろんな医療器具が展示され、中 には大工道具じゃない
【・・?】
と思うようなものまでありましたよ。
▲記念館の庭には銅像が
出島の商館医として1823年に来日したシーボルト。日本の近代医学の進歩 に重要な役割を果たしたことは有名。来日する前から出島の事情について先人 から学び、日本での生活術をしっかり心得ていた彼は、出島に出入りする奉行 所の役人らとも上手におつきあい。それが効を奏してか出島の外で医学の教 室(鳴滝塾)を開くことを許可されます。鳴滝塾には全国の俊英達が集まり西洋 の医術を学び、また全国に広げていきました。
ヽ^〇^
歴史デ習ッタヨネ!
シーボルトが日本に寄せる興味には並々ならぬものがあったようで、宗教、 法律、政治、動植物など多岐に渡る研究を行い、塾生らにもその手助けをさせ ています。国外への日本の情報持ち出しは大罪だったその頃、日本研究という 大きな野望をひた隠しながら、それを巧みに実行。カピタン(オランダ商館長)に 同行して江戸参府に行く時も、日本各地を観察できるとあって、大喜び。旅道中、 役人らの目を盗んでは、植物を採取したり、理由をつけては駕篭から下りて歩き 風景や人々の暮しを観察。体調をくずして駕篭から出られない時でもしっかり 外の様子を見ていたそうです。
ヽ(゜O゜)
ホウ!
▲足窓(右下)が付いた
特別製の駕籠
だけど日本での任期を終え、 帰国目前という時に、とうとう野望が発覚。国外追放となってヨーロッパに戻った シーボルトは「日本」、「日本植物誌」、「日本動物誌」等大作を著します。川原 慶賀の挿し絵をふんだんに用い、細やかに記述されたこれらの本は、日本研究 の集大成。これほどの江戸時代の史料は、国内にもあまりなく、貴重な史料 として現代でも大いに活かされています。
ところで、むやみに日本の様子を知られないためにか、出島から鳴滝に行く 時も、江戸に行く時も、駕篭に担がれて移動していたシーボルト。せまい駕篭 は慣れない外国人にとって結構ハードな乗り物だったんじゃないかな…。