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このブログを運営しているみろくやは、昭和39年に長崎で設立されました。設立以来、長崎名産品である長崎ちゃんぽん、皿うどんを製造・販売しています。このブログでは私達の情報だけでなく、愛してやまない長崎のことも綴っていければと思います。私達を通じて、少しでも長崎に触れていただけたら幸いです。

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長崎開港物語 第9回 中国料理編(四)

2015.01.28

1.長命水のこと:酒毒を酔し腹中を健やかにする、オランダ伝来の橙菓汁

唐船舶載の卓袱用具

唐船舶載の卓袱用具

 

 前章でシッポクには長命水を用うべしと記したところ、東京のテレビ局より長命水のことについて詳しく記してくれと連絡をいただいた。前出の「会席しつぽく趣向帳(1771年・江戸日本橋須原屋刊)」によると次のように記してある。
口伝
●およそ卓袱料理は大酒におよぶものなればオランダ人の用ゆる倭語にて長命水といふを出すべし。其の方は ▼白砂糖、百目に水一合入れ、鶏の玉子の白身ばかりを紙に少し入れ。強き炭火に煎ずれば砂糖のあく泡とかたまり浮くを杓子にてすくい捨べし。但し油断すれば鍋より吹きこぼれる也。是すなはち砂糖密なり。馬尾篩(すいのう)にてこし用ゆべし。▼肉豆蒄(にくずく)細末(註・マレーの原産にて稚子は香気ありナッツメグといい、昔より我が国ではオランダ船より薬種として輸入。 胃病の薬という。又肉豆蒄油として輸入したものもあった。) ▼酢(す)極上のもの ▼焼酒 上品のもの  この四味を水に入れて出す事なり。但し調合のあんばいは甘く、酢は櫁柑の味のようにする也。  此水をのめば酒毒を酔すゆへ二日酔せず腹中健(すこや)かにする妙方也。この長命水は長崎の人達はポンスといった。  古賀十二郎先生の「長崎方言集覧阿蘭陀語編」に次のように記してある ▼ポンス、橙菓汁、Pons  講談社オランダ語辞典 Pons の頃には「中陵漫録」を引いて次のように説明してある。オランダ人、夏月、暑を防ぐにはポンスと云者を飲む。北方のアラキと云酒二合に橙の酢を入て白糖を和し、煎る事一沸して是を水煮少しさして飲む。甚だ冷にして宜し、其アラキは南蛮の焼酎にて・・・
前出の古賀先生の書にはアラキについて次のように記してある。
 アラキ 強き酒なり。荒気。arak   現代の長崎シッポクにはポンスは用意されないが、調味料を入れる猪口(ちょこ)には一つは正油、他の一つにはポンズ(酢正油)がだされる。
 戦前の長崎の夏の飲み物に「梅ポンス」というのがあった。これは梅焼酎に少し砂糖を加え冷水にてうすめ飲むものであった。

2.シッポクの種類:京都祇園で始めた大碗12の食。そして文化・文政の江戸で流行、蜀山人も囲んだ卓袱料理。

 

清朝同治年製急子

清朝同治年製急子

 

 長崎での婚礼の宴席や正月法要などの正式の食膳では、全て黒(溜)塗の本膳で用意され、シッポクが用意されるのは家庭的なものか。
 急ぐ場合に用意されるものと、珍しい異国風の料理として客に用意されるものであったが。 明治時代以降は料理屋の発展と共に長崎の地ではシッポク料理が次第に客席にだされるようになり、戦後は特に長崎名物シッポク料理として評判のものとなっている。文政13年(1830)開板の「嬉遊笑覧」にはシッポクのことを次のように説明している。『シッポクは食をのする机なり。唐人流の料理をしかいう。享保年中(1716~35)佐野屋嘉兵衛といふもの京都祇園下河原にて初めて大椀12の食を始めたり。大阪にてこの食卓料理あまた弘めたり。野堂町の貴得斉ほど久しくつずきたるなし。江戸にも処々にありしなるべけれど行はれず。』(おこたり草より)
 然し江戸でも相当にシッポクは流行していた。特に江戸で文人趣味が流行するにつれ異国趣味のシッポク料理は江戸の名亭八百善の文政5年(1822)発行の「江戸流行料理通」に江戸卓袱料理の図を掲げ、その四季の料理の献立を魚類と精進の部に分けて記してある。又同所には蜀山人、亀山鵬斎の序文や谷文晁の挿絵をはじめ蜀山人・錦華が卓袱を囲む図が描かれ、卓上にはコップ、トンスイ(匙)中央には大鉢、丼物3個、大蓋物、箸立、小皿がならべられている。

江戸卓袱料理の図(江戸流行料理通より)

江戸卓袱料理の図(江戸流行料理通より)

 

 又天明4年(1784)出版された「卓子式」には料理の種類を小菜8品、中菜12品、大品8品とし、他書には大菜12碗、または8碗、点心16品、小品2・3品と記している。   そして同書にはシッポクの心得を次のように記している。
一,客人は時間を違えず主人の家に至るべし。
一,主人は床に古書画を飾り香花・筆硯・玩物をかざるべし。
一,次に畑盤(タバコ盆)を出す。茶は茶盆に客の数の茶碗をのせ、茶瓶台(茶托)にのせ客人に献ずべし。
一,其の時、密煮の竜眼肉あるいは密煮の白扁豆(長崎にてはトロクスンという。)を出すべし。
一,シッポク台は始めより座敷に出してあるべし。
一,シッポク台の下には、お祝いの時には緋毛せん、精進もの、茶会席の場合は紺色の毛せんを敷くべし。
一,陪客主人同時に食卓(シッポク)につくべし。正客は中央に座り、陪客は右、主人は左に座る。
一,清人は(中国ではの意)、主人箸を取り菜肉の美なるを選び小皿に盛りて客に進む。その後、客人より主人に挨拶し、それより食すべし。
一,盃に酒をつぎ客主ともに飲む。
一,箸を碗中に置く事なかれ。汁を卓上にこぼすことなかれ。
一,料理は小皿にて食し、汁は匙にて吸べし。匙は左の手に持つべし。
一,8碗のときは67碗でたときに客より飯を乞ふべし。飯は茶漬なり、飯でるときは卓袱おわり也。
一,卓袱おわりて後、甘き蜜饌などを出し、泡茶献すべし。其の後、緑豆またはキク苡仁の砂糖煮の粥を出すべし。

 このように文化・文政期(180年前)の江戸では大いにシッポク料理は流行していたのであるが、安政の開国以後、新しい料理として前述のターフル料理が流行してくると江戸でのシッポク料理はその影をうしない、江戸でシッポクといえば前出の「嬉遊笑覧」には次のように説明している。『大平(おおひら)にそば又はうどんを盛り上げたるもの也。』と説明している。

第9回 中国料理編(四) おわり

長崎開港物語は長崎歴史文化協会理事長、越中哲也氏よりみろくや通信販売カタログ『味彩』に寄稿されたものです。

 

 

 

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