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第570号【元号元年をふりかえる】

2019.05.08

 「令和」の時代を迎えた初日、諏訪神社(長崎市上西山町)へ出向くと、境内は天皇の即位を記念した「御朱印」を求める人々の列で埋め尽くされていました。「令和元年五月吉祥日」と記された縁起物とあって、行列は次々に参拝者が加わって長くなる一方。あらためて多くの人々が新しい時代へ希望や期待を寄せていることを感じる光景でした。

令和初日の諏訪神社

 同日、長崎港には「スター・レジェンド」(全長135メートル総トン数9,961トン、船籍バハマ)が入港。客船としては1万トンクラスのスモールシップですが、船内の設備は大型客船並みに充実しているとか。新しい時代もクルーズ船がさりげなく停泊する長崎港の景色は変わらないよう。そして、53日には豪華客船の代名詞ともいえる「クイーン・エリザベス」(船籍イギリス)が入港。全長294メートル、総トン数90,900トン。黒い舷が目を引く巨大な船体は、気品と風格が感じられます。伝統のエレガンスを醸すその姿は、新しい時代がはじまった長崎に華を添えるようでした。

5月1日の長崎港

5月3日クイーン・エリザベス

 元号が変わるときは、世の中も変わるとき。近世・近代の長崎の歴史のなかで「○○元年」の出来事をみると、やはり、時代の節目となる大事が起きていました。まずは、室町時代の元亀元年(1570)、ポルトガルと長崎開港協定が成立。これにより翌年、ポルトガル船2隻が長崎港に初めて入港し、長崎は南蛮貿易港としての歴史を歩みはじめました。

 

 安土桃山時代の文禄元年(1592)、天下を統一して間もない豊臣秀吉は、長崎奉行の職を新しく設けました。初代長崎奉行は唐津城主の寺沢広高。その後、長崎奉行職は幕末の1868年まで常置されました。慶長元年(1597)、秀吉の伴天連追放令により捕らえられたキリスト教宣教師と信者ら計26人が西坂で処刑されました。400年以上の時を経た現在も西坂は「日本二十六聖人殉教の地」として世界中から観光客が訪れています。

港町長崎の歴史はここから

 

 江戸時代に入り、長崎のまちがしだいに形作られていくなか、延宝元年(1673)、長崎市中の生活用水となる、倉田水樋(くらたすいひ)が完成。中島川上流の銭屋川を水源とするこの水樋は、その後200年以上にわたり利用されました。

倉田水樋水源跡

 元亀元年以降、長崎には多くの唐船もやって来ました。元禄元年(1688)には、194隻が入港し史上最高数を記録。中国との盛んな貿易を物語るように、同年、唐船の荷物を収納した新地の近くに、2千人から3千人の中国人を収容可能とした「唐人屋敷」の造成がはじまり、翌年完成しました。

 

 時代はさらに下って幕末は文久元年(1861)、のちに三菱重工長崎造船所へと発展する「長崎製鉄所工場」が完成。同年、長崎村小島郷に日本初の近代的なヨーロッパ方式の病院と医学校として、「小島養生所」と「医学所」が建設されました。そして、いまからちょうど154年前の慶応元年(18655月、イギリス人貿易商グラバーが、蒸気機関車「アイアン・デューク号」を大浦海岸にレールを敷いて試運転。大浦海岸は、日本の鉄道発祥の地となりました。同じ頃、坂本龍馬は日本初の商社、「亀山社中」を長崎・伊良林に設立しています。

亀山社中の跡

 ざっと振り返っただけでも、時代のうねりを感じる元号元年の出来事。さて、令和元年、どんな時代の節目となるでしょうか。「令和」に込められた「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という願いが叶いますように。

 

 

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