おいしい笑顔、長崎から
私たちの使命は、“おいしい笑顔”を追求することで、お客様の「幸せ」に貢献することです。
みろくやのコーポレートスローガンである「おいしい笑顔、長崎から。」にはその想いを込めています。
お客様に「おいしい笑顔」になっていただきたい。
「おいしいひと時を通して、あなたや、あなたと一緒に召し上がる方にホッとやさしい気持ちになっていただきたい。」
そんな想いを大切にして、長崎からおいしいちゃんぽん・皿うどんをお届けし続けています。

ちゃんぽんへの想い

ちゃんぽんは優しさから生まれた愛情料理です。私たちは“おいしく”て“栄養たっぷり”で“優しい”ちゃんぽんの魅力を長崎の地から発信し続けています。

皿うどんへの想い

皿うどんは一度に様々な食感や、香り、味を感じられる楽しい料理です。私たちはその楽しさとおいしさでお客様に喜んでいただきたいと考えています。

みろくやブログ

  • お客様の声

    息子がふるさと納税返礼品でちゃんぽんと皿うどんをプレゼントしてくれました。久しぶりのみろくやの味で家族で長崎に住んでいた頃(40年前)の昔話になりました。「やっぱり、みろくやが一番!」おいしいものは人を幸せにします茨城県 S・I様我が家では野菜たっぷりで食べます(^^)スープも、あっさりとした味わいで、とても良い(^^)太麺で食べ応え満点です!!家で食べているのに、長崎に行った気分になりました!!ちゃんぽん大好きです☆兵庫県 C・K様

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  • 第657号【9月 酷暑の中、秋の気配】

     9月に入ってからも30℃越えの気温が続く九州。長崎ではたびたび熱中症警戒アラートも発表されています。中島川沿いのヤナギの葉はパサパサ。アオサギやシロサギは川面に影がさす夕方になるのを待って、餌取りをしているようでした。異常気象といえるほどの厳しい暑さはまだ続くようですが、ときおり吹き抜ける風に秋の気配が感じられるようになりました。もうしばらく、がまんです。  旬のものを食べて、酷暑に耐え続ける身体を癒したい。そんな気持ちでスーパーの鮮魚コーナーをのぞくと、カマスが目に入りました。長崎ではカマスは9月から11月が旬とされる魚です。白身が水っぽいので、干物を好む方も多いようですが、シンプルに塩焼きもおいしい。焼く前に塩をふって30分ほど冷蔵庫におき、水分を抜けば身が締まります。白身はやわらかく、ほどよい旨味があり、ご飯がすすみます。  地元の農作物を扱うお店に行くと、雲仙産の落花生を見つけました。落花生といえば、日本の生産量の約7〜8割を占める千葉県産が有名ですが、長崎県でも、雲仙、大村、五島などで生産されています。落花生の収穫時期は9月。生のままの落花生が店頭に出る期間は限られているので、見かけたらすぐに購入し、塩ゆでに。炒りタイプにはないおいしさを楽しめます。  ちなみに落花生は、「ピーナッツ」、「南京豆(なんきんまめ)」、「唐人豆(とうじんまめ)」などとも呼ばれます。「ピーナッツ」の名称は昭和に入ってからだそうです。また、長崎では「落花生」を「ドウハッセン」と呼ぶことがあります。中国語で落花生が、「ロウフゥアシェン」と発音することに由来するそうです。  長崎県のほぼ中央に位置する大村では、「塩ゆでピーナツ」が名物のひとつです。この地域の郷土料理で「煮ごみ」というものがあります。これは、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、鶏モモ肉、厚あげ、干し椎茸などをさいの目に切って煮しめた、いわゆる五目煮です。大豆に代えて、ゆで落花生使うところが特徴です。  9月に入り、サツマイモの収穫もはじまったようです。「新サツマ芋」と値札に記されたものを購入。さっそく、長崎市野母崎地区に伝わる郷土料理、「いも寄せ」を作りました。もっちりとした生地は、炒りゴマとショウガが香る昔ながらの味わいです。   さて、来週9月17日(旧暦8月15日)は、十五夜です。一年でもっとも美しいとされる「中秋の名月」ですが、サトイモやサツマイモの収穫時期と重なることから「いも名月」とも呼ばれています。農家では、稲穂に見立てたススキを飾り、初掘りしたサトイモの煮付けや月見団子などを供え、秋の実りに感謝しました。今年の十五夜は、酷暑の中、育ってくれた農作物とがんばった人々を思い、ひときわ感慨深い月見になりそうです。

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  • 第656号【8月愛と平和と海辺】

     真夏の青空の下、長崎のまちのあちらこちらでキョウチクトウの花が満開を迎えています。79年前の8月9日の朝、何気なくこの花を眺めた人もいたことでしょう。その数時間後に、原爆が投下されることなど知る由もなく…。長崎港にそそぐ浦上川沿いを歩きながら、10数年前に聞いたある男性(80代)の話を思い出しました。「原子爆弾が落とされた直後、この川沿いを、人探しのために歩きまわった。そのときのことが僕の原体験になっている」。この世のものとは思えぬ悲惨な様子をポツリ、ポツリと言葉少なに語った男性。この方も原爆による癒えない心の傷をずっと抱えて生きてきた人でした。  もし、悲しい土地の記憶を癒すものがあるとしたら、それは、愛と平和。けして、大それた話ではなく、日々のあれこれを味わい、楽しみ、顔を合わせる人たちと、なごやかに笑顔で過ごす、それも愛と平和のカタチのひとつです。 近年、再開発がすすみ、人々が憩い、楽しめる素敵な街並みが着々と築かれている浦上川周辺。そのベースには、平和を強く希求する長崎市民の思いがあります。近い将来、世界中から多くの笑顔がこの街に集い、それぞれの日常を彩り豊かに過ごしている、そんな街の姿をとおして、愛と平和を発信し続けることができたらいいですね。  さて、例年にない酷暑となった2024年の夏。外出もおっくうになりがちでしたが、ちょいとバスに乗りこんで、海辺へ出かけてきました。行き先は「かきどまり白浜海岸」(長崎市柿泊町)。長崎市の北西部に位置する海岸で、映画のロケ地にもなったことで知られています。アクセスは、長崎駅から「柿泊」行きのバスで約30分。「弁天白浜」バス停で下車。長崎へ観光に訪れた方でも、気軽に足を伸ばせる海辺です。  西側に大海原をのぞむ「かきどまり白浜海岸」は、夕陽の名所としても知られています。海岸線に沿って、「弁天白浜」と「小白浜」と呼ばれる小さなビーチが連なり、透明度の高いエメラルドグリーンの海がとてもきれいでした。かつて、夏場は海水浴場として開設されていましたが、現在は監視員がいないため遊泳禁止に。波打ち際で砂遊びをする親子の姿や岩場で景観を楽しむ人の姿がありました。  「弁天白浜」から、「かきどまり漁港」まで続く遊歩道が整備されていて、安全に景観を楽しむことができます。西彼杵半島につながる海岸線は、砂浜だけでなく岩場もあり、けっこう複雑多岐な表情です。山地が外洋に面した地形ということもあり、長い年月をかけて波の浸食によって創られた「海食崖」や「海食洞門」も見られ、ダイナミックな地球の鼓動を感じることができました。  リンゴをかじった形に見えることから地元では「リンゴ岩」と呼ばれるユニークな姿の岩石がありました。ちなみに、地質学では波の浸食に抵抗して岩石の柱や塊が残ったものを「離れ岩」といい、そのなかで、「リンゴ岩」のように根元の部分がえぐられ、くびれた形になっているものを、「茸岩(きのこいわ)」というそうです。「リンゴ岩」は遠くから見るとくびれの細さに崩れそうに思えますが、間近で見ると、案外しっかりしているような印象でした。  「かきどまり白浜海岸」には、遊歩道沿いにキャンプエリアやバーベキューエリアも設けられています。利用にあたってはルールを守ってお楽しみください。

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  • 第655号【文月の酷暑のなかで】

     夏の初めになると親戚から届く、すもも(プラム)。何の手入れもしないのに、春になると白い花を咲かせ、毎年たくさんの実をつけるそう。今年は、真夏のような暑さが早くはじまったせいか、いつもより早く食べ頃を迎えたといいます。味は、ほどよい酸味と甘さがあり、例年通りのおいしさでした。すももの旬は、品種にもよりますが、おおむね初夏から初秋。免疫力を高めるビタミンCのほか、ビタミンA、カリウム、食物繊維など、暑い季節の身体にうれしい栄養素が含まれています。おやつや朝食などにおすすめですよ。 沖縄地方以外、まだ梅雨は明けていませんが、早くも厳しい暑さが続いています。この夏はいつも以上に、暑さ対策を心がける必要があるよう。まずは、神頼みをということで、諏訪神社(長崎市上西山町)の「夏越の祓え(なごしのはらえ)」でお参りをしてきました。 一年の半分にあたる6月30日に、各神社で行われる「夏越の祓え」。拝殿前などに立てられた「茅の輪(ちのわ)」をくぐることで、半年間の罪や穢れを祓い、この夏を無事に過ごせるよう祈願するという神事です。くぐり方は地域により違いはあるようですが、諏訪神社では『水無月の夏越のはらえする人は千歳のいのち延ぶと言ふなり』と唱えながらくぐります。「茅の輪」は、「茅(かや)」を太く束ねて大きな輪にしたもの。この暑さのなかで、大量の茅を刈り集めて輪を作る作業は、きっとたいへんだったに違いありません。 参拝の後、参道脇に建立された福沢諭吉の像のそばでふと足が留まりました。羽織姿のその像は、地元の慶應義塾大学の卒業生によって建立されたもの。長らく(1984年から約40年間)親しまれてきた一万円札の顔も、いよいよバトンタッチのときを迎えました。  この7月から新一万円札の顔として登場した渋沢栄一(1840-1931)。近代日本の経済を支えた人物として知られています。長崎にまつわるエピソードで思い浮かぶのは栄一ではなく、孫の渋沢敬三(1896-1963)とグラバーの息子、倉場富三郎(1871-1945)とのことです。  祖父、渋沢栄一の後継者として活躍した敬三。日銀総裁や大蔵大臣なども務めた経済界の重鎮という顔を持ちながら、民俗学者としても活動(主に漁業史)し、功績を残しています。一方、倉場富三郎は、長崎の実業界で活躍。日本で初めてトロール漁業を導入しました。富三郎は、長崎で水揚げされる魚を精密に描いた『日本西部及び南部魚類図譜』(グラバー図譜)を編纂。これは、5人の画家を雇い、約25年に渡って製作したものでした。この図譜に関心を抱いた敬三は、1941年5月、九州へ仕事で来た際、長崎入り。グラバー邸の応接間で、精緻で美しいその図譜を数時間かけて観察したそうです。  富三郎が終戦直後に亡くなったとき、遺言には、この図譜を渋沢敬三に託したい旨の記載があり、グラバー図譜はいったん長崎を離れることに。その後、敬三は、この図譜が水産関係の研究所や大学などで活用されること、そして富三郎が生まれ育った長崎市内に所蔵されることを望み、長崎大学の水産学部に託すことに。長崎にもどったグラバー図譜は、現在、長崎大学附属図書館に貴重資料として所蔵され、同図書館ホームページの「電子化コレクション」から閲覧できます。ぜひ、ご覧ください。

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