おいしい笑顔、長崎から
私たちの使命は、“おいしい笑顔”を追求することで、お客様の「幸せ」に貢献することです。
みろくやのコーポレートスローガンである「おいしい笑顔、長崎から。」にはその想いを込めています。
お客様に「おいしい笑顔」になっていただきたい。
「おいしいひと時を通して、あなたや、あなたと一緒に召し上がる方にホッとやさしい気持ちになっていただきたい。」
そんな想いを大切にして、長崎からおいしいちゃんぽん・皿うどんをお届けし続けています。

ちゃんぽんへの想い

ちゃんぽんは優しさから生まれた愛情料理です。私たちは“おいしく”て“栄養たっぷり”で“優しい”ちゃんぽんの魅力を長崎の地から発信し続けています。

皿うどんへの想い

皿うどんは一度に様々な食感や、香り、味を感じられる楽しい料理です。私たちはその楽しさとおいしさでお客様に喜んでいただきたいと考えています。

みろくやブログ

  • 第655号【文月の酷暑のなかで】

     夏の初めになると親戚から届く、すもも(プラム)。何の手入れもしないのに、春になると白い花を咲かせ、毎年たくさんの実をつけるそう。今年は、真夏のような暑さが早くはじまったせいか、いつもより早く食べ頃を迎えたといいます。味は、ほどよい酸味と甘さがあり、例年通りのおいしさでした。すももの旬は、品種にもよりますが、おおむね初夏から初秋。免疫力を高めるビタミンCのほか、ビタミンA、カリウム、食物繊維など、暑い季節の身体にうれしい栄養素が含まれています。おやつや朝食などにおすすめですよ。 沖縄地方以外、まだ梅雨は明けていませんが、早くも厳しい暑さが続いています。この夏はいつも以上に、暑さ対策を心がける必要があるよう。まずは、神頼みをということで、諏訪神社(長崎市上西山町)の「夏越の祓え(なごしのはらえ)」でお参りをしてきました。 一年の半分にあたる6月30日に、各神社で行われる「夏越の祓え」。拝殿前などに立てられた「茅の輪(ちのわ)」をくぐることで、半年間の罪や穢れを祓い、この夏を無事に過ごせるよう祈願するという神事です。くぐり方は地域により違いはあるようですが、諏訪神社では『水無月の夏越のはらえする人は千歳のいのち延ぶと言ふなり』と唱えながらくぐります。「茅の輪」は、「茅(かや)」を太く束ねて大きな輪にしたもの。この暑さのなかで、大量の茅を刈り集めて輪を作る作業は、きっとたいへんだったに違いありません。 参拝の後、参道脇に建立された福沢諭吉の像のそばでふと足が留まりました。羽織姿のその像は、地元の慶應義塾大学の卒業生によって建立されたもの。長らく(1984年から約40年間)親しまれてきた一万円札の顔も、いよいよバトンタッチのときを迎えました。  この7月から新一万円札の顔として登場した渋沢栄一(1840-1931)。近代日本の経済を支えた人物として知られています。長崎にまつわるエピソードで思い浮かぶのは栄一ではなく、孫の渋沢敬三(1896-1963)とグラバーの息子、倉場富三郎(1871-1945)とのことです。  祖父、渋沢栄一の後継者として活躍した敬三。日銀総裁や大蔵大臣なども務めた経済界の重鎮という顔を持ちながら、民俗学者としても活動(主に漁業史)し、功績を残しています。一方、倉場富三郎は、長崎の実業界で活躍。日本で初めてトロール漁業を導入しました。富三郎は、長崎で水揚げされる魚を精密に描いた『日本西部及び南部魚類図譜』(グラバー図譜)を編纂。これは、5人の画家を雇い、約25年に渡って製作したものでした。この図譜に関心を抱いた敬三は、1941年5月、九州へ仕事で来た際、長崎入り。グラバー邸の応接間で、精緻で美しいその図譜を数時間かけて観察したそうです。  富三郎が終戦直後に亡くなったとき、遺言には、この図譜を渋沢敬三に託したい旨の記載があり、グラバー図譜はいったん長崎を離れることに。その後、敬三は、この図譜が水産関係の研究所や大学などで活用されること、そして富三郎が生まれ育った長崎市内に所蔵されることを望み、長崎大学の水産学部に託すことに。長崎にもどったグラバー図譜は、現在、長崎大学附属図書館に貴重資料として所蔵され、同図書館ホームページの「電子化コレクション」から閲覧できます。ぜひ、ご覧ください。

    もっと読む
  • 第654号【水無月(みなづき)の花々】

     初夏のすがすがしい風が吹き抜けた6月1日の朝、長崎では秋の大祭「長崎くんち」の稽古始めとなる「小屋入り」が行われました。この行事は、その年に演し物を奉納・披露する踊町(おどりちょう)の世話役や出演者らが、諏訪神社(長崎市上西山町)と八坂神社(長崎市鍛冶屋町)で清祓いを受け、無事に大役を達成できるよう祈願するものです。今年、7つの踊町は朝から列をなして次々に神社へ。シャギリの音色が街中に響きわたりました。  今年の「踊町:演し物」は、次のとおりです。「八幡町:山伏道中・剣舞・弓矢八幡祝い船」、「麹屋町:川船」、「銀屋町:鯱太鼓」、「西濵町:龍船・二胡演奏」、「興善町:本踊(石橋)」、「万才町:本踊」、「五嶋町:龍踊」。コロナ禍の影響で中止がつづき昨年4年ぶりに行われた「長崎くんち」。通常なら7年に一度めぐってくる踊町の役割も10年ぶり。踊町も観客も、ひときわ思いのこもった「長崎くんち」になるに違いありません。  さて、「小屋入り」の日は、諏訪神社のザクロの花が満開でした。6月も中旬に入ると、アジサイはもちろん、ユリやアガパンサス、クチナシなど、色とりどりの初夏の花々を見かけます。出島に近い街角では、ひときわ個性的なトケイソウが咲いていました。  平らな花の真ん中に突き出た雄しべと雌しべ。その姿が時計の文字盤を思わせることから名付けられたというトケイソウ。ペルー、ブラジル原産のつる性多年草で、江戸時代の享保年間(1716-1735)に日本へ渡来したといわれています。ひとくちにトケイソウといっても、たいへん種類が多い植物だそう。では、江戸時代に渡ってきたのは一体、どんなタイプだったのでしょうか。色つきの植物図鑑として日本で初めて出版されたといわれる、『本草図譜』(1830年刊/著者:岩崎灌園)には、今回見かけたものと同じ姿のトケイソウが描かれていました。  ところで、夏の暑さ対策のひとつに、「緑のカーテン」というものがあります。窓際につる性の植物を育てることで、日差しをやわらげたり、室内に入る風をひんやりとさせたりするものですが、このトケイソウも「緑のカーテン」として利用できるそうです。   中島川上流にかかる石橋、桃渓橋(ももたにばし)。この時期の夜、橋の上からそっと川端に目をやると、数匹ですがホタルが飛んでいます。橋の下には小規模のカンナの群生があり、6月から10月の花期になると、鮮やかな橙色の花を次々に咲かせます。カンナはもともと丈夫な植物ですが、桃渓橋のカンナも生命力にあふれ、大雨や台風時の濁流に激しくなぎ倒されても、バッサリと刈り取られても、必ず復活し大ぶりの花を咲かせます。ときに小鳥に蜜を与えながら、炎天下にたくましく育つカンナ。私たちもカンナのように、この夏を乗り越えられたらいいですね。

    もっと読む
  • お客様の声

    帰省した息子が皿うどんが大好きなので、野菜・海鮮を付け足してボリューム満足に作りました。揚げ麺が「ふにゃ」となる食感が大好きです。あんかけも丁度の具合に出来て、とてもおいしかったです。2食じゃ足りずリピートしたいです。徳島県 I・K様長崎県佐世保市の出身でよくちゃんぽんは食卓で出ていました。結婚して他県に住むと長崎ちゃんぽん・皿うどんの味が恋しくなり、ついついネットで注文しています。何年も変わらず、とてもおいしい。今では子供達も大好きです☆神奈川県 S・M様父母(妻の)が長崎出身ということもあり、特に皿うどんは家族皆大好き。ソースかけ派と酢派で大皿を囲んでいつもおいしく食べてます!!皿うどん最高!!(^^)みろくやさんのちゃんぽん・皿うどんもペロッとたいらげました。ごちそうさまでした。宮崎県 A・K様

    もっと読む
  • 第653号【皐月(さつき)】

     中島川沿いにある光永寺(長崎市桶屋町)では、境内にある樹齢450〜500年といわれる大イチョウが、ふさふさと若葉を茂らせていました。このお寺は、幕末の1854年(安政元)、蘭学を志した福沢諭吉が一時期止宿したことで知られています。諭吉さんは当時19歳。約1年間の長崎滞在中、四季折々に変化するこのイチョウの姿を見たはず。若葉につつまれた季節はどんな気持ちで見上げたでしょうか。  光永寺にほど近い長崎市民会館横の道路沿いにはイチョウ並木があり、こちらもすっかり初夏の装いです。この界隈には観光スポットの眼鏡橋もあり、ゴールデンウィーク中は、いつも以上の人出で賑わっていました。多くの人がマスクなしで笑顔を見せている光景に、いろいろと制限があった日々を忘れがちになっていましたが、いまあらためて、行きたい場所へ行き、人と会ったり、ものに触れたりすることを自由に楽しめるって本当に幸せなことなのだと感じます。  光永寺から中島川をさらに上流に向かったところで、カワセミを見かけました。この川ではおなじみの野鳥ですが、春は抱卵の時期なので、巣穴にこもっていたと思われ、この数週間はなかなか姿を確認できずにいました。いまは、卵からかえったヒナたちへ、せっせと餌を運ぶ時期に移ったのでしょう。川面をしばらく見つめていたカワセミは、画像ではわかりにくいですが、下のくちばしが赤みを帯びていたのでメス。(オスのくちばしは、上下とも黒い)。夏いっぱい、オスと協力して子育てに励みます。  さて、ゴールデンウィーク中は、どこの観光スポットも賑わっていたようですが、お出かけしたいけど、静かな場所がいいという方にとっては、穴場ともいえる場所がありました。思案橋電停から徒歩7〜8分。和の庭園と木造家屋が落ち着いた風情を醸す「中の茶屋」(長崎市指定文化財)です。ここは、江戸時代中期に花街「丸山」の遊女屋「中の筑後屋」が設けた茶屋で、全国各地から長崎を訪れた文人墨客らが遊び親しみ、長崎奉行の市中巡検の際には休憩所として利用されていたと伝えられています。  「中の茶屋」の母屋は、昭和46年の住宅街火災の延焼の被害を受け、その後、新築復元されたものですが、庭園は茶屋が設けられた当時の形をとどめているそうです。庭園の樹木のなかで目を引くのが、樹齢200年は超えていると思われる松です。古木ながら枝ぶりに勢いが感じられます。長崎学の基礎を築いた郷土史家、古賀十二郎先生(1879-1954)は、著書『丸山遊女と唐紅毛人』に、「中の茶屋」についてくわしく触れ、「庭園には、枝振りの佳き松が、幾つもあった。〜」などと記しています。  庭園の池を囲むように植えられたサツキが、開花時期を迎えていました。庭木や盆栽として古くから日本人に親しまれてきたサツキ。ツツジより小ぶりの花は、次々に咲いて長く楽しめます。今月中旬には見頃を迎えるそうです。  「中の茶屋」は、平成13年から「清水昆展示館」として活用されています。昆さんは昭和期に活躍した長崎市出身の漫画家で、かっぱの漫画と言えば、ピンとくる方も多いことでしょう。今年は昆さんの没後50年にあたり、その活躍を振り返る企画展が開催されています。昭和の人情味とユーモアあふれる作品の数々に、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。若い人たちにとっては、逆にそれが新鮮に思えるかも。ぜひ、足をお運びください。

    もっと読む