第672号【令和7年師走よもやま話】
黄金色のイチョウの葉が散りはじめた長崎。晩秋のような光景ですが、「もう、師走」。一年の早さにびっくりしながら、押入れを片付けていると、奥の方からパッケージに包まれた布が出てきました。それは、20年以上も前に、生月島で買ったもので、江戸時代の力士、生月鯨太左衛門(いきつきげいたざえもん)が描かれた「のれん」。当コラム第23号(2001年2月)で生月鯨太左衛門を紹介した際に使用していて、掲載後、相撲ファンの知人にさしあげる予定でした。 生月鯨太左衛門(1827-1850)は、身長227センチメートル、体重約168キログラムの巨漢力士として、江戸時代の終わり頃に人気を博しました。生まれは長崎県平戸島の北西に位置する生月島。生月鯨太左衛門という四股名(しこな)は、当時、生月島が捕鯨で栄えていたことにちなんだものです。生まれたときの体重は、通常の赤ちゃんの2倍はあったともといわれ、とりあげた産婆さんが「鯨のようだ」と驚いたそうです。 子どもの頃は、その大きな体と力で親孝行。その後、相撲界からのスカウトを受けて、18歳で大坂場所へ、さらに、その翌年には江戸相撲に進出。平戸藩お抱えの人気力士でしたが、23才の若さで病に倒れました。短い人生でしたが、さまざまなエピソードがいまも語り継がれています。 生月鯨左衛門をはじめ数々の人気力士が生まれた江戸時代。当時の相撲は、寺社の再建や修理のために資金を集めるという名目の「勧進相撲」から、やがて興行へと移行し、庶民の娯楽として発展。お江戸はもちろん、全国各地で、神社などの年中行事として相撲が行われました。長崎では、梅園神社(長崎市丸山町)、松森神社(長崎市上西山町)、そして、中川八幡神社(長崎市中川)など。なかでも勝負事の神様を祀る中川八幡神社では、毎年9月に行われる奉納相撲は、「中川相撲」と呼ばれ、九州各地の名だたる力士が集結していた時期があるそうです。 ここで、本筋からはずれますが、野鳥の話。松森神社の境内をめぐっているとき、赤い実をついばむ数羽のシジュウカラを見かけました。ときおり「ピーツピ」という鳴き声が聞こえてきます。鈴木俊貴さんという動物言語学者の研究によると、シジュウカラの鳴き声には意味があり、いくつかの鳴き声を組み合わせて会話をしているそう。「ピーツピ」というのは、仲間に「警戒しろ」と知らせているとか。そっとカメラレンズを向けていたのですが、気付かれていたようです。 さて、冒頭で生月鯨左衛門ののれんを渡しそびれたままという話をしましたが、相手の方とは、長い月日の間に自然に交流が途絶え、もう連絡がつかなくなっています。毎日忙しくしていると、いつでも会えると思っていた友人や知人に、義理を欠いたり、大切なことを伝えそびれたまま時が流れてしまうことがあるものです。年の瀬に、移りゆく季節やどんどん変わっていく街の様子を肌で感じながら、これからは、相手が喜んでくれそうなことや感謝の気持ちは、最優先で伝えていこうと決めました。 ○本年もご愛読くださり、誠にありがとうございました。
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