おいしい笑顔、長崎から
私たちの使命は、“おいしい笑顔”を追求することで、お客様の「幸せ」に貢献することです。
みろくやのコーポレートスローガンである「おいしい笑顔、長崎から。」にはその想いを込めています。
お客様に「おいしい笑顔」になっていただきたい。
「おいしいひと時を通して、あなたや、あなたと一緒に召し上がる方にホッとやさしい気持ちになっていただきたい。」
そんな想いを大切にして、長崎からおいしいちゃんぽん・皿うどんをお届けし続けています。

ちゃんぽんへの想い

ちゃんぽんは優しさから生まれた愛情料理です。私たちは“おいしく”て“栄養たっぷり”で“優しい”ちゃんぽんの魅力を長崎の地から発信し続けています。

皿うどんへの想い

皿うどんは一度に様々な食感や、香り、味を感じられる楽しい料理です。私たちはその楽しさとおいしさでお客様に喜んでいただきたいと考えています。

みろくやブログ

  • 第672号【令和7年師走よもやま話】

     黄金色のイチョウの葉が散りはじめた長崎。晩秋のような光景ですが、「もう、師走」。一年の早さにびっくりしながら、押入れを片付けていると、奥の方からパッケージに包まれた布が出てきました。それは、20年以上も前に、生月島で買ったもので、江戸時代の力士、生月鯨太左衛門(いきつきげいたざえもん)が描かれた「のれん」。当コラム第23号(2001年2月)で生月鯨太左衛門を紹介した際に使用していて、掲載後、相撲ファンの知人にさしあげる予定でした。  生月鯨太左衛門(1827-1850)は、身長227センチメートル、体重約168キログラムの巨漢力士として、江戸時代の終わり頃に人気を博しました。生まれは長崎県平戸島の北西に位置する生月島。生月鯨太左衛門という四股名(しこな)は、当時、生月島が捕鯨で栄えていたことにちなんだものです。生まれたときの体重は、通常の赤ちゃんの2倍はあったともといわれ、とりあげた産婆さんが「鯨のようだ」と驚いたそうです。  子どもの頃は、その大きな体と力で親孝行。その後、相撲界からのスカウトを受けて、18歳で大坂場所へ、さらに、その翌年には江戸相撲に進出。平戸藩お抱えの人気力士でしたが、23才の若さで病に倒れました。短い人生でしたが、さまざまなエピソードがいまも語り継がれています。  生月鯨左衛門をはじめ数々の人気力士が生まれた江戸時代。当時の相撲は、寺社の再建や修理のために資金を集めるという名目の「勧進相撲」から、やがて興行へと移行し、庶民の娯楽として発展。お江戸はもちろん、全国各地で、神社などの年中行事として相撲が行われました。長崎では、梅園神社(長崎市丸山町)、松森神社(長崎市上西山町)、そして、中川八幡神社(長崎市中川)など。なかでも勝負事の神様を祀る中川八幡神社では、毎年9月に行われる奉納相撲は、「中川相撲」と呼ばれ、九州各地の名だたる力士が集結していた時期があるそうです。  ここで、本筋からはずれますが、野鳥の話。松森神社の境内をめぐっているとき、赤い実をついばむ数羽のシジュウカラを見かけました。ときおり「ピーツピ」という鳴き声が聞こえてきます。鈴木俊貴さんという動物言語学者の研究によると、シジュウカラの鳴き声には意味があり、いくつかの鳴き声を組み合わせて会話をしているそう。「ピーツピ」というのは、仲間に「警戒しろ」と知らせているとか。そっとカメラレンズを向けていたのですが、気付かれていたようです。  さて、冒頭で生月鯨左衛門ののれんを渡しそびれたままという話をしましたが、相手の方とは、長い月日の間に自然に交流が途絶え、もう連絡がつかなくなっています。毎日忙しくしていると、いつでも会えると思っていた友人や知人に、義理を欠いたり、大切なことを伝えそびれたまま時が流れてしまうことがあるものです。年の瀬に、移りゆく季節やどんどん変わっていく街の様子を肌で感じながら、これからは、相手が喜んでくれそうなことや感謝の気持ちは、最優先で伝えていこうと決めました。  ○本年もご愛読くださり、誠にありがとうございました。

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  • 第671号【キンモクセイと大徳寺の大クス】

     長崎のまちがキンモクセイの香りに包まれたのは11月初めのこと。例年なら10月のうちに開花するところですが、今年は残暑が厳しかったせいで遅れたようです。キンモクセイ、そしてギンモクセイの樹が植えてある長照寺(長崎市寺町)に足を運ぶと、ここも一斉に開花して寺町通りに芳香を漂わせていました。  キンモクセイの花はオレンジ色、ギンモクセイは淡い黄色。香りはキンモクセイの方が甘く濃厚で、遠く離れた街角まで届くのに対し、ギンモクセイはやや弱く、樹の周辺をひかえめな香りで包みます。ちなみに、キンモクセイとギンモクセイは同じモクセイ科の常緑高木。植物の分類では、ギンモクセイが先にあり、キンモクセイはその変種になるそうです。 秋、この香りがすると、どこか懐かしく、落ち着いた気分になるという方もいらっしゃるのでは?実は、キンモクセイやギンモクセイの香りには、痛みや疲れをやわらげリラックス効果があるそう。芳香の期間は1週間足らず。夏の疲れを癒す季節の香りです。 さて、今月3日、東京や近畿地方で、「木枯らし1号」が吹いたというニュースがありました。立冬(11月7日)も過ぎましたが、長崎を含む九州北部地方は、気温も高めで冬と呼ぶにはまだ早い感じです。お出かけ日和が続く中、久しぶりに「大徳寺の大クス」(長崎市西小島)に会いに行きました。  樹齢およそ800年超。長崎県指定の天然記念物で、県下第一のクスの巨木といわれています。1カ所から見上げるだけでは、全体像がつかめない大きさで、20年以上前の紹介文には、根のまわりが23.35mもあると書かれています。この大クスは、本幹が1本天に向かって伸びているというタイプではなく、幹は根元に近いところから大きく3つに分かれ、さらにそこからたくさんの枝を伸ばしています。根を下ろしている場所が、入り組んだ斜面であることが、樹の成長に影響を与えているのかもしれません。  「大徳寺の大クス」のそばには、古い看板をかかげた古民家があります。創業明治20年(1887)、現在3代目という高齢のご夫妻が営む「大徳寺焼餅」のお店です。1人前が4個入りで800円。奥さんが生地に、こしあんを包んで手際よく丸めると、それをご主人が重たい鉄型に並べ、ひっくり返しながら焼いています。聞けば、建物も道具もほぼ創業当初のままだとか。4口あるガスの焼き釜は、昭和初期にはじめてガスが使われるようになったときに設置したもの。現在は1口だけしか使わないが、先代の頃、4口ともフル稼働させていた時代もあったそうです。  焼きたての「大徳寺焼餅」を、すぐそばにある「大徳寺公園」のベンチでいただきました。大ぶりの焼餅なので、けっこうな食べ応え。やさしい甘さのこしあんにお腹がほっとしました。公園の真ん中と周辺には、さらなる大クスの姿がありました。その昔、この一帯は原始林で、「大徳寺の大クス」も公園の大クスも、伐採を免れた原始林の名残りのよう。移りゆく時代や人々の暮らしを静かに見守ってきた大切な存在です。  

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  • 第670号【令和7年長崎くんちと幔幕の家紋】

     朝からシャギリの音色が長崎のまちに響き渡っています。きょうは、秋の大祭、「長崎くんち」の中日(なかび)。長崎市中心部には大勢の人々が繰り出して、くんちを楽しんでいます。  昨日は、「お下り」が行われ、諏訪神社からお旅所まで、諏訪・住吉・森崎の三基の御神輿の行列がまちを練り歩きました。沿道に詰めかけた大勢の人々の顔ぶれを見ると、高齢の方々がとても多い。いつだったか、地元の女性(当時85才)が、「私らが子どもの頃、くんちの日は、朝から小豆ご飯、お煮しめ、ざくろなますといったごちそうが出る。学校は午後から休みで、家に帰ると、新調した洋服を着せてもらって、まちに出るのさ。うれしかったね。いまでも、くんちがはじまると、その頃と同じようにワクワクする」と話していたのを思い出しました。  9月下旬まで、気温は連日30度を超えていましたが、10月に入るとさすがに過ごしやすくなってきました。とはいえ、30度に達する日もあり、残暑と秋のせめぎあいはまだ終わっていないようです。猛烈な暑さに見舞われたこの夏、長崎くんちの踊町(新橋町、諏訪町、新大工町、榎津町、西古川町、賑町)の方々の準備は本当にたいへんだったことでしょう。本番を間近に控えた10月3日には、使用する衣装や道具などを披露する「庭見世(にわみせ)」、続く4日には、踊町の演し物の仕上がりを町内の人に披露する「人数揃い(にぞろい)」が行われました。  両日とも雨に見舞われましたが、夕刻からはじまる庭見世のときは、雨が小康状態になり、傘をさしながらも大勢の見物客で賑わいました。「人数揃い」も、午後には雨があがり、本番に先駆けてすばらしい演し物が披露されていました。  さて、「長崎くんち」の期間中、踊町の家々や店舗の入り口には、家紋を染め抜いた幔幕(まんまく)が張られます。家紋の意味を知ると、くんち見物でまちに出たとき、ちょっとした楽しみが増えます。幔幕の家紋をいくつかご紹介します。  梅の花をモチーフにした「丸に梅鉢」。梅は、春のおとずれを告げる花。学問の神様、菅原道真が梅を好んだことに由来し、学業成就の願いが込められた紋です。蔦(つた)の葉をモチーフにした「丸に蔦」。蔦は繁殖力が強い植物。子孫繁栄の願いが込められています。矢をデザインした「丸に違い矢」。矢を用いた紋には、尚武的な意味合いがあるそうです。あおぐことで風を起こす扇をデザインした「三つ扇」。折りたたまれた扇を開くと、縁起のいい末広がりの形に。子孫繁栄の願いも表します。  日本の家紋の種類は、一説には2万以上もあるとか。そのモチーフになるのは、天文、植物、器材、建造物、文字などで、どれも簡潔で美しい図柄にデザインされています。家紋は戦国時代、あるいはもっと前から伝わるものもありますが、明治以降、国民全てが苗字を名のることができるようになったとき、家紋も自由に使用されたことで、その数がぐんと増えたそうです。いずれにしても、家紋を通して、ご先祖様の思いを知ることができます。秋の夜長、我が家の家紋について調べてみませんか?  ◎参考にした本『正しい紋帖』(古沢恒敏 編/金園社)        『日本の家紋大辞典』(森本勇矢 著/日本実業出版社)

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  • お客様の声

    義理のお母さんの帰省時にリクエストして買ってきてもらいました。スーパーで売っているちゃんぽんよりも具沢山で麺がもちもちしているので大好きです。スープも強すぎず、ゴクゴク飲めてしまうくらい、まろやかでお気に入りです。神奈川県 K・E様

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