おいしい笑顔、長崎から
私たちの使命は、“おいしい笑顔”を追求することで、お客様の「幸せ」に貢献することです。
みろくやのコーポレートスローガンである「おいしい笑顔、長崎から。」にはその想いを込めています。
お客様に「おいしい笑顔」になっていただきたい。
「おいしいひと時を通して、あなたや、あなたと一緒に召し上がる方にホッとやさしい気持ちになっていただきたい。」
そんな想いを大切にして、長崎からおいしいちゃんぽん・皿うどんをお届けし続けています。

ちゃんぽんへの想い

ちゃんぽんは優しさから生まれた愛情料理です。私たちは“おいしく”て“栄養たっぷり”で“優しい”ちゃんぽんの魅力を長崎の地から発信し続けています。

皿うどんへの想い

皿うどんは一度に様々な食感や、香り、味を感じられる楽しい料理です。私たちはその楽しさとおいしさでお客様に喜んでいただきたいと考えています。

みろくやブログ

  • お客様の声

    丁寧に作り方の説明書が入っていて普段料理をしない私でも簡単に美味しいちゃんぽんと皿うどんを食することができて大変うれしく思っております。またリピートしていと思います。おいしかったです。愛知県 Y・N様具材まで入っていて、キャベツを切るだけで完成する手軽さなのに、味はお店で食べたような本格派でした!濃厚でコクのあるスープに一口目から夢中になり、長崎旅行の思い出がよみがえってきました本当に美味しかったです!!東京都 R・S様

    もっと読む
  • 第673号【令和8年午年に寄せて】

     新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。  寒の入りから1週間以上が経ちました。北国の大雪のニュース映像を見るたびに、雪に不慣れな九州人は、ただただ、おののくばかり。今季の九州は、暖冬傾向かと思っていましたが、昨年末から強い寒波が小刻みに訪れ、私たちを翻弄しています。一年でもっとも寒さが厳しいこの時季、いつも以上に体調に気をつけて過ごしたいものです。 時代の変化が年々加速している、そんな思いを抱きながら迎えた新年。変貌ぶりが著しい長崎駅界隈では、かねてから工事が進められている「駅前広場」が今年の年末に完成する予定です。新年早々、年末の話?と思われそうですが、路面電車の「長崎駅前」電停に隣接する「駅前広場」は、長崎の顔となる大切な場所です。1年後、どんな景観が広がっているのか、楽しみに待ちたいと思います。 長崎市民の総鎮守、諏訪神社(長崎市上西山町)へ初詣に行くと、本殿近くにある「神馬像(しんめぞう)」の前で、参拝を終えた人々が、入れ替わり立ち替わり写真を撮っていました。この銅像は、平和祈念像の作者で知られる、北村西望氏102歳のときの作品。長寿にもあやかれそうな像でした。 参拝後、諏訪神社に隣接する「どうぶつひろば」へ。ここは、親子連れに人気のスポットで、サル、ウサギ、アナグマ、キツネ、クジャク、ハクチョウなどいろいろな動物と出会えます。今回のお目当ては、昨年秋に熊本県の阿蘇からやって来たポニーです。名前は「オセロ」、8歳のメス馬です。ちなみに、ポニーとは、体高147センチメートル以下の馬の総称。そのサイズ感といい、表情といい、笑みがこぼれるかわいさです。「オセロ」は、ヤギの「ユリ」と同居しています。馬は社会性の高い動物なので、ヤギと一緒でも大丈夫なのだそうです。 さて、午年の長崎の歴史をひもとくと、長崎港にまつわる重要な出来事が起きていました。ときは戦国時代、応仁の乱後、信長による全国統一の機運にあるなか、長崎では午年の1570年(元亀元年)、イエズス会の神父による長崎の浦々の測量が行われ、良港であることが判明。大村純忠とイエズス会の間で、長崎開港の協定が結ばれました。翌年、ポルトガル船とポルトガル人がチャーターした唐船が来航。以後、長崎は国際貿易都市として発展していくことになります。それから、干支がひとまわりした1582年(天正10)には、天正遣欧少年使節が長崎港からローマに向けて出発。3年後、ローマ入りした彼らは、教皇グレゴリオ13世との謁見を果たしました。  こうしてみると、午年の長崎には、まちのターニングポイントになるような何かが起こるのかもと思えてきます。令和8年午年、何があっても、最後には「うまく乗り越えた」といえる年になりますように。

    もっと読む
  • 第672号【令和7年師走よもやま話】

     黄金色のイチョウの葉が散りはじめた長崎。晩秋のような光景ですが、「もう、師走」。一年の早さにびっくりしながら、押入れを片付けていると、奥の方からパッケージに包まれた布が出てきました。それは、20年以上も前に、生月島で買ったもので、江戸時代の力士、生月鯨太左衛門(いきつきげいたざえもん)が描かれた「のれん」。当コラム第23号(2001年2月)で生月鯨太左衛門を紹介した際に使用していて、掲載後、相撲ファンの知人にさしあげる予定でした。  生月鯨太左衛門(1827-1850)は、身長227センチメートル、体重約168キログラムの巨漢力士として、江戸時代の終わり頃に人気を博しました。生まれは長崎県平戸島の北西に位置する生月島。生月鯨太左衛門という四股名(しこな)は、当時、生月島が捕鯨で栄えていたことにちなんだものです。生まれたときの体重は、通常の赤ちゃんの2倍はあったともといわれ、とりあげた産婆さんが「鯨のようだ」と驚いたそうです。  子どもの頃は、その大きな体と力で親孝行。その後、相撲界からのスカウトを受けて、18歳で大坂場所へ、さらに、その翌年には江戸相撲に進出。平戸藩お抱えの人気力士でしたが、23才の若さで病に倒れました。短い人生でしたが、さまざまなエピソードがいまも語り継がれています。  生月鯨左衛門をはじめ数々の人気力士が生まれた江戸時代。当時の相撲は、寺社の再建や修理のために資金を集めるという名目の「勧進相撲」から、やがて興行へと移行し、庶民の娯楽として発展。お江戸はもちろん、全国各地で、神社などの年中行事として相撲が行われました。長崎では、梅園神社(長崎市丸山町)、松森神社(長崎市上西山町)、そして、中川八幡神社(長崎市中川)など。なかでも勝負事の神様を祀る中川八幡神社では、毎年9月に行われる奉納相撲は、「中川相撲」と呼ばれ、九州各地の名だたる力士が集結していた時期があるそうです。  ここで、本筋からはずれますが、野鳥の話。松森神社の境内をめぐっているとき、赤い実をついばむ数羽のシジュウカラを見かけました。ときおり「ピーツピ」という鳴き声が聞こえてきます。鈴木俊貴さんという動物言語学者の研究によると、シジュウカラの鳴き声には意味があり、いくつかの鳴き声を組み合わせて会話をしているそう。「ピーツピ」というのは、仲間に「警戒しろ」と知らせているとか。そっとカメラレンズを向けていたのですが、気付かれていたようです。  さて、冒頭で生月鯨左衛門ののれんを渡しそびれたままという話をしましたが、相手の方とは、長い月日の間に自然に交流が途絶え、もう連絡がつかなくなっています。毎日忙しくしていると、いつでも会えると思っていた友人や知人に、義理を欠いたり、大切なことを伝えそびれたまま時が流れてしまうことがあるものです。年の瀬に、移りゆく季節やどんどん変わっていく街の様子を肌で感じながら、これからは、相手が喜んでくれそうなことや感謝の気持ちは、最優先で伝えていこうと決めました。  ○本年もご愛読くださり、誠にありがとうございました。

    もっと読む
  • 第671号【キンモクセイと大徳寺の大クス】

     長崎のまちがキンモクセイの香りに包まれたのは11月初めのこと。例年なら10月のうちに開花するところですが、今年は残暑が厳しかったせいで遅れたようです。キンモクセイ、そしてギンモクセイの樹が植えてある長照寺(長崎市寺町)に足を運ぶと、ここも一斉に開花して寺町通りに芳香を漂わせていました。  キンモクセイの花はオレンジ色、ギンモクセイは淡い黄色。香りはキンモクセイの方が甘く濃厚で、遠く離れた街角まで届くのに対し、ギンモクセイはやや弱く、樹の周辺をひかえめな香りで包みます。ちなみに、キンモクセイとギンモクセイは同じモクセイ科の常緑高木。植物の分類では、ギンモクセイが先にあり、キンモクセイはその変種になるそうです。 秋、この香りがすると、どこか懐かしく、落ち着いた気分になるという方もいらっしゃるのでは?実は、キンモクセイやギンモクセイの香りには、痛みや疲れをやわらげリラックス効果があるそう。芳香の期間は1週間足らず。夏の疲れを癒す季節の香りです。 さて、今月3日、東京や近畿地方で、「木枯らし1号」が吹いたというニュースがありました。立冬(11月7日)も過ぎましたが、長崎を含む九州北部地方は、気温も高めで冬と呼ぶにはまだ早い感じです。お出かけ日和が続く中、久しぶりに「大徳寺の大クス」(長崎市西小島)に会いに行きました。  樹齢およそ800年超。長崎県指定の天然記念物で、県下第一のクスの巨木といわれています。1カ所から見上げるだけでは、全体像がつかめない大きさで、20年以上前の紹介文には、根のまわりが23.35mもあると書かれています。この大クスは、本幹が1本天に向かって伸びているというタイプではなく、幹は根元に近いところから大きく3つに分かれ、さらにそこからたくさんの枝を伸ばしています。根を下ろしている場所が、入り組んだ斜面であることが、樹の成長に影響を与えているのかもしれません。  「大徳寺の大クス」のそばには、古い看板をかかげた古民家があります。創業明治20年(1887)、現在3代目という高齢のご夫妻が営む「大徳寺焼餅」のお店です。1人前が4個入りで800円。奥さんが生地に、こしあんを包んで手際よく丸めると、それをご主人が重たい鉄型に並べ、ひっくり返しながら焼いています。聞けば、建物も道具もほぼ創業当初のままだとか。4口あるガスの焼き釜は、昭和初期にはじめてガスが使われるようになったときに設置したもの。現在は1口だけしか使わないが、先代の頃、4口ともフル稼働させていた時代もあったそうです。  焼きたての「大徳寺焼餅」を、すぐそばにある「大徳寺公園」のベンチでいただきました。大ぶりの焼餅なので、けっこうな食べ応え。やさしい甘さのこしあんにお腹がほっとしました。公園の真ん中と周辺には、さらなる大クスの姿がありました。その昔、この一帯は原始林で、「大徳寺の大クス」も公園の大クスも、伐採を免れた原始林の名残りのよう。移りゆく時代や人々の暮らしを静かに見守ってきた大切な存在です。  

    もっと読む