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  • 第634号【羽ばたけ、かもめ】

     関東地方の急な冷え込みほどではありませんが、長崎も先週からようやく日中の蒸し暑さがやわらぎ、ひんやりしてきました。さわやかな秋空のもと、眼鏡橋などの石橋群で知られる中島川沿いを散策すると、アオサギやキセキレイ、イソヒヨドリなどおなじみの野鳥たちの元気な姿がありました。青緑色の美しい羽を持つカワセミは、つがいで現れ、それぞれ岩の上から獲物をねらっていました。このカワセミは、街中の川の生活に慣れたのか、警戒心がややゆるくなっているようです。ツーショットを初めて撮影できました。  この日は中島川で、もうひとつ初めての出来事がありました。それは、カワウが自分の足を使って体を掻く姿を見たことです。中島川で数年前からときおり見かけるようになったこのカワウ。水中での採餌のあと、岩の上に留まってひと休み。濡れた翼を片方ずつ広げて乾かしていたのですが、急に右足をヒョイと上げ、首筋あたりを掻きはじめました。ネコやイヌが後ろ足を使い毛繕いするのは見たことがありますが、鳥も同じようにやるとは…。くちばしを使っての羽繕いとは違い、ちょっとユーモアのある姿でありました。  「鳥」つながりの話題で、この秋、長崎でいちばん注目をされたのが「かもめ」です。先月9月23日、西九州新幹線(武雄温泉〜長崎)が開業。それまでの特急「かもめ」が廃止され、新幹線「かもめ」が運行を開始しました。これにより博多〜長崎が最速1時間20分で結ばれることに(武雄温駅で武雄・博多間を運行する在来線特急列車と対面で乗り継ぐ「リレー方式」)。地元の生活も観光も、利便性の高まりによる活性化が期待されています。  新幹線の開業前、長らくお世話になった特急「かもめ」を写真におさめようと長崎駅へ向かいました。ホームに出ると、その車体の色から「黒いかもめ」と「白いかもめ」の呼び名で親しまれた列車が並んで停車中。いろいろな思い出がこみあげて、感慨深いものがありました。  博多〜長崎を結んだ特急「かもめ」。振り返れば、昭和の時代はベージュ色の「エル特急かもめ」、平成には銀色の「ハイパーかもめ」、そして赤い車体の「KAMOME PRESS」が登場。特急「かもめ」は時代ごとの象徴的なカラーで、多くの人々の人生に寄り添い、さまざまな思い出のひとこまとして刻まれてきました。新幹線「かもめ」もまた、たくさんの素敵な思い出を創ってくれるに違いありません。  長崎駅のホームで発車を控えた新幹線「かもめ」。赤と白のシンプルな外観と、どこかかわいらしい面長の顔に親しみがわきます。発車時刻が近づくと、前照灯が点灯。発車のアナウンスの後、静かに動き出したかと思うと、国道202号の上をまたぎ20数秒ほどでトンネルに入って見えなくなりました。このあと、諫早駅、新大村駅、嬉野温泉駅を経て、武雄温泉駅へ。それぞれ新装したばかりのモダンな駅舎が新幹線「かもめ」を迎えています。   新幹線「かもめ」の運行開始で賑わう長崎駅。この秋、3年ぶりに帰省した知人は、長崎駅周辺の変貌ぶりにとても驚いていました。長崎港が背景に映る新しい駅舎をはじめ路線バスルートの変更や駅前電停のエレベーターの設置など、さまざまな変化が続いています。そのスピード感は、地元の人も驚くほど。長崎駅は、新時代に羽ばたく長崎の鼓動が感じられるもっともホットな場所のひとつになっています。

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  • 第633号【長崎の名月】

     9月は台風シーズン。油断なく、ぬかりなく、いま一度、避難所や防災グッズの確認をしておきたいものです。  先週の台風一過。澄んだ空気の中、雲の表情も次第に秋めいてきましたね。その週末には旧暦8月15日(十五夜)を迎え、中秋の名月を愛でた方も多いのではないでしょうか。この日、関東地方の夜空は晴天に恵まれたようですが、九州・長崎は、雲の多い夜空となりました。それでも雲の切れ間から、ときおり満月が顔をのぞかせ、日をまたいでからは雲の少ない時間帯もあり、十分に満月を眺めることができました。しかも今年は、月に薄雲がかかった状態が多かったことで、光が反射して起きる月光環(月の周りに虹のような輪が見られる現象)も見られました。  『名月をとってくれろと泣く子かな』小林一茶の有名な句ですね。月は、古来から日本人にとって神聖かつ親しみのある存在です。いにしえの人々は、月を詠んだ歌や句をたくさん残しています。江戸時代、中秋の月見は秋の訪れを告げる大切な行事で、宮中はもちろん、武家も庶民の家でも、縁側にススキやハギなどを飾り、秋の収穫物や団子を供えてお月見をしたそうです。宇宙飛行士が月に降り立つ現代にあっても、地球に潮の満ち引きをもたらす月には、人々の心をとらえて離さない不思議な魅力があります。見上げた月の美しさに、思わず手を合わせたり、願い事をしたりしてしまうのは、いまも昔も変わらないのかもしれません。  『彦山の上から出る月はよか こげん月は えつとなかばい』。長崎で、よく知られているこの歌は、江戸時代の狂歌師・蜀山人(しょくさんじん)こと太田南畝(直次郎)によるものと伝えられています。文化元年(1804)9月、長崎奉行所勘定役として江戸から長崎に来て、1年余り滞在しました。歌碑は、彦山からのぼる月がよく見える諏訪神社(諏訪神社斉館「諏訪荘」の前)に建立されています。      諏訪神社には、もうひとつ名月を詠んだ句碑があります。『尊さを京でかたるも諏訪の月』。 長崎ゆかりの俳人、向井去来の句です。蕉門十哲の一人として知られる去来は、長崎生まれ(生誕地は、長崎市興善町の長崎市立図書館あたり)。8歳のとき、両親とともに京都へ移りました。去来は、松尾芭蕉の門弟になってからも、母方の親戚がいる長崎に、たびたび帰郷しています。この句から、長崎が懐かしくてたまらない、そんな心情が伝わってきます。句碑は、諏訪神社の参道の一角にある祓戸神社のそばにあります。  さて、長崎でお月見の時期の定番行事といえば、長崎新地中華街を中心に行われている中国の伝統的な祭り「中秋節」です。今年は、9/9〜9/25まで。昨年は「コロナ」の影響で行われなかったと思いますが、今年は、「コロナ」前まで行われていた龍踊りや中国獅子舞などの催しはないものの、月に見立てた黄色い提灯がたくさん飾られています。虫の声が涼やかに響く秋の夜、黄色い提灯を見上げながら歩けば、心もまあるく、明るくなるよう。ぜひ、お出かけください。

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  • 第632号【ウリ科の野菜で夏を健やかに】

     8月初旬、記録的大雨により被災された東北や北陸、そして西日本各地のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈りいたします。  あらためまして、残暑お見舞い申し上げます。立秋が過ぎ、暦の上では秋。厳しい暑さの中ですが、ここ数日、夜風がかすかに冷んやりとして来ました。セミの鳴き声も晩夏の趣。少しずつですが、涼しい季節へ向かっていることにホッとします。とはいえ、連日の真夏日(30度超え)、猛暑日(30度超え)は、身体に堪えますね。こんなときこそ、野菜をおいしくたっぷり食べられる「長崎ちゃんぽん」は、おすすめです。豚肉や魚介類の旨みが凝縮したちゃんぽんスープの香りが、食欲を目覚めさせてくれますよ。  さて、今回は、夏バテ予防をテーマに、薬膳の考え方で夏場の不調を改善する食材の中から、「ウリ科」の野菜にしぼってご紹介します。まず、はじめは調理いらずで、すぐに食べられる西瓜(スイカ)です。利尿作用があり、むくみ取りや血圧を下げる効果もあるといわれています。からだに熱感があるときや目の充血、喉の渇きにもおすすめです。 西瓜の原産地はアフリカ大陸の赤道近く。日本へは16世紀にポルトガル船が種子を伝えという説や、17世紀中頃、長崎にやって来た隠元禅師一行が種子を持参し、長崎で栽培をはじめたのが最初という説などがあります。  余談ですが、西瓜はペルシャ語で「ヘンダワネ」と発音するそう。スペイン語でレストランのことを「タベルナ」というのと同じく、日本語として聞くと、クスッと笑ってしまう外国語のひとつです。  西瓜と同じく利尿作用があり、からだの熱を取り除く効果を期待できるのが、冬瓜(トウガン)です。熱中症の予防にもなるといわれています。冬瓜と鶏肉のスープは、夏の長崎の郷土料理のひとつ。小ぶりに切り揃えた冬瓜、鶏肉を水から煮て、塩、薄口しょうゆ、酒で味を整えます。食べた後、からだのほてりがスーッと引いていくのを感じます。  独特のほろ苦さが夏の食欲をそそるゴーヤこと苦瓜(ニガウリ)も、ビタミンCが豊富で、夏バテ予防になる食材です。薬膳的には、発熱や多汗を治め、熱中症予防にもなるといわれています。味噌炒めにしたり、パスタにしたり、いろいろな調理法でおいしくいただけますが、薄く切った苦瓜をさっと湯がいて、冷水にとり、ぎゅっとしぼって器へ。かつお節をかけ、お好みの合わせ酢でいただくのがおすすめのひと品です。   胡瓜(キュウリ)もこの時期、積極的に食べたい食材です。90%以上が水分でビタミンやミネラルは少ないのですが、さわやかな香りやパリッとした歯ごたえが夏の食欲をそそります。利尿効果があり、体が熱っぽいときやむくみ、下痢の症状に効果があるといわれています。胡瓜はぬか漬けにすると、疲労回復のビタミンといわれる、ビタミンB1の含有量がぐんと増えます。ぬか漬けは腸内環境も整えてくれる発酵食品。毎日、適量をおいしく食べて、夏バテ予防につなげたいですね。

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  • 第631号【焼きものの町、波佐見へ】

     長崎を含む九州北部地方の梅雨は、異例の17日間という短さで6月のうちに明けました。いきなりやって来た真夏の猛暑のなか街を歩けば、橙色のノウゼンカズラがあちらこちらで目を引きます。開花時期とはいえ、この暑さの中、次々に花を咲かせるなんて、すごい。そのたくましさと明るい色合いが元気をくれます。  さて、梅雨明け直後の週末、焼きものの町、波佐見へ行ってきました。長崎市街地から波佐見へは、公共の交通機関を利用すると2時間ほどかかります(JR長崎駅〜川棚駅下車、川棚駅前で路線バスに乗り換え、「やきもの公園前」バス停下車)。電車では波静かな大村湾の眺め、路線バスでは田園風景を楽しめるので、時間がある方にはおすすめのアクセスです。 近年、波佐見焼は、さまざまな暮らしのシーンに寄り添う多彩でお洒落なデザインの器として注目を浴びています。聞くところによると、お気に入りの器を求めて、関東方面から若い人がよく訪れるのだとか。江戸時代、丈夫で手頃な価格の器として流通し「くらわんか碗」と呼ばれていた波佐見焼。その後も、まちをあげての分業制で、変化する時代に応じた暮らしの器を作り続けてきました。そうしたものづくりに対する柔軟さが、波佐見焼の魅力のひとつになっているようです。  波佐見めぐりのスタートは、「やきもの公園前」バス停そばにあるに「くらわん館」(観光交流センター内)から。1階のショップには波佐見焼の窯元・商社の商品が揃っています。2階は資料館で、400年余りの歴史がある波佐見焼について詳しく知ることができます。また、隣接する「やきもの公園」には、世界の代表的な窯が12基も再現されていて、圧巻です。  観光交流センターで貸し出されていたレンタサイクルで、陶郷・中尾山へ向かいました。のどかな田園風景のなかをいく車道は走りやすく、電動自転車なのでゆるやかな上り坂も楽々。のんびり走って10数分で到着です。 波佐見のなかでも古くから窯業が盛んに行われてきた中尾山。山の谷間の斜面地に立ち並ぶ木造家屋やレンガ造りの煙突が、どこか懐かしい風情を漂わせていました。坂を登りきったところにある「中尾山交流館」は、観光案内所も兼ねたギャラリー&ショップ。窯元めぐりをする前に寄るのがおすすめです。  中尾山では、手彫りの白磁の器で知られる「一真窯」を訪ねました。民家を利用したギャラリー&ショップは、親戚の家に気軽におじゃまする感じです。生地に彫りを入れるオリジナルのカンナは30種類以上。熟練の職人技で模様を施しながら極限まで彫り込み、薄く透けるような白磁の美しさを実現しています。食卓をさりげなく彩る洗練されたデザインで、手に取ると思いのほか軽く、手作りの温もりも感じられました。  山の斜面を利用して築かれた世界第2位の規模を誇る巨大な登り窯「中尾上登窯跡(なかおうわのぼりかまあと)」(国史跡)にも行ってみました。長さ約160メートル、窯室33室。操業開始は17世紀中頃。大量の「くらわんか碗」をはじめ海外輸出用のコンプラ瓶などが焼かれた窯です。現場では、窯の規模の大きさを実感。江戸時代の焼きものの大量生産の様子が想像できました。 まだまだ見どころ満載の波佐見。秋にふたたび行ってみたいと思います。  ◎「一真窯」の「ウェーブ鉢盛」「丸カップセット」は、みろくやの通販でも購入できます。

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  • 第630号【アジサイの季節】

     梅雨前線が沖縄から九州南部へ移りそうだと思っていたら、九州よりも先に関東甲信地方が梅雨入りしました。長崎の梅雨入りは今週末か、来週初め頃になるという予想。とはいえ、6月に入ってからの長崎は、すっかり梅雨めいた空気に包まれ、街角のアジサイも次々に見頃を迎えています。  長崎でアジサイが咲きはじめたのは先月中旬頃。長崎市の市花でもあるこの花は、市民に親しまれ、家々の庭先はもちろん、公園や道路沿いなど、とにかく、いたるところに植えられています。長崎の市花に選ばれた理由は、「オタクサ」というアジサイの異名に秘められたエピソードにありました。  1823年、出島のオランダ商館医として赴任したシーボルト。植物学者でもあった彼は、帰国後に著した『日本植物誌』に、日本原産のアジサイを「ハイドランゲア・オタクサ」という学名をつけ紹介しました。「オタクサ」とは、シーボルトが愛した長崎の女性、楠本滝(くすもと たき)さんの愛称。シーボルトは、ガクアジサイやヤマアジサイなど何種類もあるアジサイの仲間のなかで、ことのほか「ハイドランゲア・オタクサ」に魅せられたよう。『日本植物誌』には、出島の植物園で「オタクサ」の名で栽培していたことも記されています。  落葉低木のアジサイは、丈夫で寿命の長い植物です。毎年、同じ場所で花を咲かせる、馴染みのアジサイがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。知人宅のアジサイは、毎年、1つの株に40〜50個の花を付けます。ずいぶん前に植えたもので、手入れは花期後に枝を深く刈り込むだけ。水やりは、雨まかせだそう。「肥料も与えないのに、不思議よね」と、丈夫なアジサイに感心しきりの知人でした。  6月のまちを歩けば、アジサイ以外の花々も元気に咲いていました。ピンク色の小花をボール状にまとまって咲かせる、ボタンクサギ(牡丹臭木)。形がアジサイに似ています。この植物は、葉っぱをもむと独特の匂いがします。石橋群で知られる中島川沿いでは、かぐわしい香りを放つクチナシやユリ、アガパンサスなどが見られました。  諏訪神社のザクロの花も咲いていました。長崎では庭木として植えている家も多いザクロ。花は毎年6月1日に行われる長崎くんちの「小屋入り」が近づくと咲きはじめます。「小屋入り」とは、その年の「長崎くんち」の踊町や関係者が清祓いを受け、大役の無事達成を祈願するもので、稽古はじめの日ともされています。しかし、残念ながら新型コロナの影響で、今年も「長崎くんち」は中止となり、「小屋入り」も行われませんでした。   長崎市役所別館前のアジサイも満開でした。その通りから裏手に下れば、建設中の長崎市役所新庁舎の大きな建物が現れます。来年1月に開庁が予定されていて、外観もずいぶん仕上がり、19階建ての全体像が見えてきました。見上げれば新時代の到来を感じさせる新庁舎。これからアジサイのまちがどんな変化をとげていくのか、楽しみです。

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  • 第629号【初夏、プチ五島旅でリフレッシュ】

     コロナ禍3回目のゴールデンウィークは行動制限なし。なかなか会えずにいた知人を訪ねて五島列島で2番目に大きな島、中通島(なかどおりじま)へ行ってきました。五島へは、長崎港の大波止ターミナルから船で渡ります。ターミナルではマスク着用や手指消毒などの感染予防対策をしっかり行う一方で、コロナ以前を思わせる人の流れがみられ、ちょっと明るい兆しを感じました。  久しぶりに訪れた五島では、自然の美しさにあらためて感動。海岸に迫る山の斜面や入り組んだ海沿いを行く車道からは、五島灘を見渡す絶景をぞんぶんに楽しみました。澄んだ空気やきみどり色の初夏の山々の景色もすばらしく、こうした自然が五島の海の美しさにつながっていることを実感しました。  中通島での短い滞在時間のなかで、知人が蛤浜(はまぐりはま)という海水浴場へ連れ出してくれました。500メートルほどもある遠浅の白い砂浜で知られるこの海水浴場は、水質や安全性にもすぐれ、環境省の「日本の水浴場88選」「快水浴場百選」にも選ばれています。初夏の風が吹き抜けるシーズン前の浜辺は、訪れる人もまばらで、とても静か。野鳥の鳴き声を聴きながらブルー&グリーンのグラデーションを描く海をしばし眺めました。  コロナ禍ということもあり長居は禁物と、とんぼがえりのプチ五島旅でしたが、おおいにリフレッシュ。たまには、非日常を過ごすことも大切だなあと思いながら、いつもの中島川沿いの散策に出ると、高麗橋のそばでアマリリスなどの花々が開花。川沿いはすっかり初夏の景色になっていました。  おおぶりの花がひときわ目をひくアマリリスは、「ジャガタラ水仙」という別名があります。南米やアフリカ原産で、日本へ渡ってきたのは、一説には江戸時代の1850年頃ともいわれています。「ジャガタラ」は、インドネシアのジャカルタの古名で、長崎の歴史をふりかえるとき、必ず出てくる言葉のひとつです。憶測ですが、アマリリスは長崎に入港したオランダ船、または唐船が初めて日本に運んできたのかもしれません。  観光客の姿が目立つようになった眼鏡橋のそばでも、花穂をつけたチガヤ(茅萱)が風にゆれる、初夏らしい光景がありました。チガヤは、日当たりのいい田んぼの畦や土手、空き地などに生える草で、全国各地で見られます。その姿は、同じイネ科で多年草のススキによく似ています。ふさふさとした花穂は、茅花(ツバナ)と呼ばれ、甘みがあり、かつては子どものおやつがわりにされていた時代もあるそうです。   チガヤは、繁殖力が強いため「しぶとい雑草」と嫌う人もいるようですが、茅花がいっせいに風になびく光景には風情が感じられます。ちなみに、「茅花流し(ツバナナガシ)」という初夏の季語は、茅花を揺らすちょっと湿った南風のことです。ツバナの群生の向こう側に、日本でもっとも古いアーチ型石橋の眼鏡橋が佇む光景は、日本人の風流心をくすぐります。写真を参考に、「茅花流し」で一句作ってみませんか。

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  • 第628号【はじまりの春。新しい展開へ】

     3月下旬に満開を迎えた長崎の桜。今年は、朝晩の冷え込みが続いたこともあり、おもいのほか長く花を楽しめました。桜前線はいま東北地方を北上中。すでに、長崎の桜は初夏のような日差しを浴びて若葉の季節へ。こんな時代だからこそ、移りゆく季節を感じるひとときを大切にしたいですね。  進学、就職、退職など、この春、人生の節目を迎えた方も多いことでしょう。路面電車に乗り込むと、真新しい制服に身を包んだ学生さんたちが目を引きます。マスクを付け、友だちとひかえめに会話し、アイコンタクトで笑顔を見せ合う姿が気の毒でもあり、微笑ましくもあり。充実した学生生活を送ってほしいと願うばかりです。  この春、長崎での新しい展開といえば、先月18日に長崎駅の改札前にオープンした「長崎街道かもめ市場」が注目を浴びています。長崎を代表するお土産品や飲食店など、54店舗が一堂に。伝統の味から新しいおいしさまで、長崎の文化や食の豊かさを堪能できる新スポットです。各店舗には、かもめ市場限定のオリジナル商品があって、「みろくや」もちゃんぽん、皿うどんを長崎らしい絵柄のコンパクトなパッケージに包んだ商品を用意しました。本場のおいしさを、スマートに手渡せるお土産として、観光客や出張帰りの方々に好評です。  さて、折にふれ、中島川の野鳥をご紹介してきた当コラムでも、この4月に新しい展開がありました。2年ほど前に初めて確認して以来、めったに見かけなかったカワウ(川鵜)の撮影に成功。今回が3度目の遭遇で、潜水して川魚を採餌する様子や川面に浮く姿、歩いたり、飛び上がったりする様子など、じっくり観察できました。  カワウは、眼鏡橋より上流にかかる魚市橋から東新橋、すすき原橋あたりを行ったり来たりしていました。この冬、カイツブリがいた場所です。川魚が多く採餌しやすいのかもしれません。しきりに潜っては、川魚をくわえ水面に上がって来ました。カワウは、群れで採餌することが多いそうなのですが、中島川で見かけるときは、いつも一羽だけ。深緑色を帯びた黒い羽が美しい水鳥です。 全国各地に分布するカワウは、沿岸部の海水域から海水と淡水が混じり合う汽水域、そして内陸部の淡水域まで、幅広い水域で採餌するそう。ちなみに、カワウによく似たウミウ(海鵜)との見分け方は、口角の黄色の部分の形が尖ってないのがカワウ。また頬の白い部分が、目尻からまっすぐのびているのがカワウで、斜め上に伸びているのがウミウです。   中島川にときおり現れるカワウが、今後どんな展開を見せるのか、散歩観察を続けていきます。眼鏡橋からひとつ下流の袋橋の下では、春の風物詩、アオサが一面に茂りグリーンの絨毯のようになっていました。そこへ飛来してきたアオサギが、そろりそろりと細い足を踏み入れながら、獲物探し。ときおり羽根を広げて春の陽光を浴びる姿がきれいでした。

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  • 第627号【そろそろ北へ帰る渡り鳥】

     この冬の北国は、これまでにないほどの大雪に見舞われました。一方、九州・長崎では小雪の舞う日が数日あった程度でしたが、2月の冷え込みは昨年より厳しかった気がします。そして、訪れた3月。春風に乗って大陸から西日本各地に黄砂が飛来。長崎の景色が霞みました。眼鏡橋などの石橋群で知られる中島川では、菜の花が満開に。春らしい色合いに気分も明るくなります。菜の花の花言葉は、「小さな幸せ」、「希望」など。いま世界中の人々に祈りを込めて捧げたい花です。  日に日に春めいてはいるものの、「春に三日の晴れなし」とはよく言ったもの。冷たい季節風に吹かれて身ぶるいする日もありますよね。そんな中、中島川では、先月ご紹介したカイツブリの姿が見られなくなりました。早々と北へもどったのかもしれません。市街地で見かけていたジョウビタキやアカハラといった野鳥も、春は北へ帰ります。そうした渡り鳥たちがいなくなるのは寂しいですが、中島川には、魅力的な留鳥(季節による移動をしない鳥)が何種類もいます。冬枯れの枝に留まっていたのは、カワセミでした。翡翠色の羽根はいつ見ても美しい。その長いくちばしで、水中の魚を狙い採ります。  真っ白な羽がきれいなコサギも、季節を問わず出会える野鳥です。見た目から「シラサギ」と呼ぶ人が多いよう。コサギは、全長約60センチ。白いサギの仲間のなかで、もっとも小さい種類だそう。黄色い足指が特徴です。  長崎市三和地区を流れる「大川」では、中島川では見かけない種類のカモがいました。コガモ(小鴨)です。マガモ(全長約60センチ)のつがいのそばにいたので、はじめは子ガモだと勘違い。コガモは全長37.5センチほどで、カモ類のなかでは、もっとも小型です。そのサイズ感がカイツブリを彷彿させますが、潜水は得意ではないよう。首を伸ばし、水面に顔をつっこんで餌を採っていました。  コガモは、越冬のため日本に渡ってきて、ツガイとなる相手を見つけます。そして春、北国へ帰ると繁殖して子育てをするそうです。そんなコガモもそろそろ北へ帰る頃ではないでしょうか。こうした渡り鳥たちは、はるか昔から国境など関係なく、季節に応じて自由に行き交ってきました。本能的に秩序を保ち、その小さな体で大海原を超えていく。すごいですね。   さて、中島川にもどり、近くにある長崎市民会館へ。会館前の広場は整備中でこの3月に「緑の憩いの空間」が完成するそう。ちなみに、市民会館は1974年にオープンした建物です。今年度は、長崎開港450周年記念事業が行われましたが、長崎市民会館は、開港400周年記念事業のひとつとして建設されたものだそう。完成から半世紀近く経ち、ほどよいレトロ感が漂う長崎市民会館の正面には、電車通りをはさんで、長崎市役所の新庁舎が建設中です。年内には完成し、来年1月に開庁予定。長崎のまちの新時代の風景がもうすぐ動き始めます。

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  • 第626号【中島川にかわいい新入りカイツブリ】

     春節(旧暦の元旦)を祝って華やかな催しが行われてきた「長崎ランタンフェスティバル」。新型コロナ感染拡大の影響で今年も中止になりましたが、春節の期間中(今年は2月1日〜15日迄)、新地中華街や浜町、中島川などの長崎市中心部では、新型コロナの収束と市民を応援する思いを託した希望の灯として提灯(ランタン)のみの装飾が行われています。来年こそは、たくさんの人々が笑顔でランタンを見上げて歩くことができますように。  何かと縮こまりがちな季節ではありますが、この冬、中島川ではかわいい水鳥やってきて、明るい話題を提供しています。全長約26センチ。小さくて丸い身体つきが愛らしいカイツブリです。ガイドブックによると、全国各地の河川や湖沼に生息している水鳥なのですが、中島川でカイツブリを見かけたのは今回が初めて。冬になると北にいたものが暖地へ移動するそうなので、その流れで渡ってきたのでしょう。  中島川でカイツブリを確認するようになったのは昨年11月末。このときは少なくとも5〜6羽はいて、列をなして泳いでいたので、カモの子どもだろうと思っていました。1〜2週間後に確認したときは、3羽に減っていました。この水鳥がカイツブリだとわかったのは、1月下旬のこと。石橋のたもとで水鳥をいっしょに見ていた地元の方が、「小さいけれど、親鳥だよ。この前、新聞にも載っていた。カモとは別の種類のカイツブリっていう鳥らしい…」。  地元紙でも紹介されていた中島川の「カイツブリ」。界隈では、その存在に気付いていた人は多かったようです。最初に見かけたときより数が減っていたのは、推測ですが、渡りの途中で休憩のために中島川に立ち寄った際、この3羽だけがそのまま残ったのかもしれません。  カイツブリは別名を「鳰(にお)」といいます。昔から日本人に親しまれてきた水鳥で、琵琶湖の古名「鳰の海」は、カイツブリが多くいたことにちなんだものだそう。その巣は、水草を集めて作る浮巣で、水位の状況に応じて上下します。そんなことから、不安定なもののたとえとして、『鳰の浮巣』という言葉が使われます。  カイツブリは、潜水が上手な水鳥です。脚がお尻の方に付いていて、脚指には弁状のヒレがあります。小ぶりな身体つきとその脚が潜水に適していて、一度潜ると十数秒は水の中をびゅんびゅん泳ぎ回ります。水面に上がってきたとき、川魚をくわえている場面を何度も目撃しました。   カイツブリが水面をスイスイすすむときの泳跡の広がりや一カ所にとどまっているときの水の輪もきれいで、観察していて飽きません。現在は、冬羽の姿で薄茶とグレー系の羽に包まれていますが、暖かくなってくると、頬から首にかけて赤褐色、頭は黒褐色の夏羽になるそう。春が来てまた北へ帰る頃、夏羽の姿を見られるかもしれません。中島川に集う青サギや白サギなどとともに、静かに見守りたいものです。

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  • 第625号【2022年初春 水仙と恐竜博物館】

     寒中お見舞い申し上げます。この年末年始、東日本各地では大雪に見舞われるなど厳しい寒さの日が多かったようですが、西日本ではおおむね暖冬傾向の穏やかな天気に恵まれました。とはいえ、一年でもっとも寒さが厳しくなるのは、これからです。みなさん、体調に十分気を付けてお過ごしください。  新しい年のはじめにふさわしい、すがすがしい画像をお届けしようと、長崎市で水仙の名所として知られる野母崎地区の「水仙の丘」へ出かけてきました。野母崎地区は、長崎市中心部から南西にのびる長崎半島の先端に位置するまち。自然豊かで温暖な地域として知られています。  長崎市街地から、路線バスで長崎半島の西海岸をひたすら南へくだること約50分。「水仙の丘」は、沖合に軍艦島をのぞむ海岸沿いにありました。丘の斜面を埋め尽くすように植えられた水仙の数はおよそ1000万本。潮の香と甘い水仙の芳香があたりを包み、すがすがしい光景が広がっていました。  水仙の種類は、古くから日本で親しまれてきたニホンズイセン。シンプルな姿の中に、凛とした美しさがあります。写真を撮りながら「水仙の丘」をめぐっていると、花の手入れをされている方に出会いました。その方によると、野母崎の水仙は花付きが良く、丈があり葉の色も濃いため、華道家の方々に一目置かれているとのこと。手入れのコツのひとつは、花が終わったあと球根を十分に休ませること。そうして大きくなった球根は、再び美しい花を咲かせるそうです。  水仙群のところどころで、ハマアザミも見かけました。夏から冬にかけて海浜に咲くアザミの一種で、葉が厚く光沢があるのが特徴です。ちなみに、葉や根は、山菜として食用も可能だそう。ゴボウのような形をした根は、「ハマゴボウ」とも呼ばれ、天ぷらなどにするとおいしいそうです。  海側からも山のほうからも野鳥の鳴き声が聞こえてくる「水仙の丘」。展望所から海岸を見下ろすと、岩場で羽を休めているウミウの姿がありました。  毎年、この時期に出かけていた「水仙の丘」ですが、すぐ隣に「長崎市恐竜博物館」がオープン(昨年10月)したことで、いろいろな変化が見られました。最寄りのバス停は「運動公園前」から「恐竜パーク前」に名称が変わり、バスを降りると恐竜の像が迎えてくれました。博物館前には、「こども広場」が設けられ、朝9時の開館前から子どもたちの歓声が飛び交っていました。  水仙をぞんぶんに楽しんだ後、長崎市恐竜博物館へ(新型コロナ感染防止のため、来場の際には予約が必要です)。世界最大級のティラノサウルスの全身骨格レプリカなど複数の大きな全身骨格標本が展示されていて、迫力いっぱい。展示室の海側は、一面ガラス窓になっていて、数々の恐竜の化石が見つかった長崎半島西海岸の三ツ瀬層と呼ばれるとても古い地層の一角を見渡せるようになっていました。生き物の進化や、長崎の自然史に関する展示も豊富で、恐竜好きの人に限らず、多くの人が関心を抱けるテーマが盛りだくさん。長崎市恐竜博物館については、あらためて別の機会にご紹介したいと思います。   ◎本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

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  • 第624号【2021年 師走の長崎】

     あっという間に12月がやってきました。11月は小春日和の日が多かったのですが、さすがに12月に入ってからは冬らしい寒さを感じるように。それでも、この時期にしては、比較的過ごしやすい天候が続いている長崎です。街路樹のナンキンハゼは、紅葉した葉を落とし、枝先につけた白い実をスズメたちがついばんでいました。ちなみにスズメが食べているのは、外側の白い皮だけ。中に入っている黒い種には毒があるそうです。  中国原産のナンキンハゼは、一説には江戸時代に長崎に伝わり、その後、日本各地に広まったといわれています。そんなご縁から「長崎市の木」に指定され、街路樹としておおいに利用されています。ナンキンハゼほどではありませんが、長崎のまちでは、ビワの木もあちらこちらで見かけます。初夏においしく熟す橙色の実が知られていますが、その実のもとになる花は、約半年前のこの時期に咲くのです。白い小花をたくさん付けますが、あまり目立たず、足を止める人は少ないよう。鼻を近づけると、甘い匂いがします。  新型コロナの感染者数が減ったこともあり、長崎では、先月から修学旅行生の姿が目立つようになりました。12月に入ったいまも、見慣れない学生服の子たちが路面電車で観光スポットを行き交っています。グラバー園や大浦天主堂などがある南山手も、修学旅行生たちで賑わっていました。実は、先月、その南山手から海側へ下り、「旧香港上海銀行長崎支店」前の横断歩道を渡ったところにある「長崎港松が枝国際ターミナル」付近に、人気漫画「弱虫ペダル」のキャラクターを施したマンホールが設置され、注目されています。  「週刊少年チャンピオン」に連載されている「弱虫ペダル」は、自転車競技をがんばる高校生たちを描いたスポーツ漫画。作者は長崎市出身の漫画家、渡辺航さんです。長崎市の下水道供用開始60周年を記念して、「弱虫ペダル」のキャラクターをあしらったマンホール全27点が長崎市内の観光施設や景観スポットに設置されることになり、先月、その第1弾として9点が設置されました。そのひとつが「長崎港松が枝国際ターミナル」近くにあるのです。「弱虫ペダルマンホール」は、まだ、あまり知られていないのか、気付かずに通り過ぎる修学旅行生も多いよう。見ると気分が明るくなるマンホールです。ぜひ、足元を探してほしい。残りの18点も今年度中に設置予定だそう。マンホールめぐりをしながら、市内観光を楽しんではいかがでしょう。  今年を振り返れば、長崎駅周辺の変化は大きなものがありました。新駅舎の建設をはじめ、駅の西口側には先月、国際会議や各種イベントが開催される「出島メッセ長崎」がオープン。これから新駅ビルも建設予定で、来年秋の九州新幹線西九州ルートの開業に向けてまだまだ変貌中です。現在、モダンな外観に変わった長崎駅は、戦後、長らく親しまれた三角屋根の駅舎から、2000年(平成9)に、大きな屋根付きの駅前広場のある駅舎に改築されました。当時の光景が、さまざまな出来事とともに蘇ります。旧駅舎より、少し西側(稲佐山側)へ移動した新駅舎。これから、どんなストーリーが刻まれていくのでしょう。いまから、楽しみです。  港に出ると、三菱長崎造船所の「ジャイアント・カンチレバークレーン」が対岸でいつもの姿を見せていました。1909年(明治42)に完成したこの大型クレーンは、大正、昭和、平成、そして令和と、110年余りの激動の時代をくぐりぬけながら長崎のまちを見守ってきました。近々、コロナ禍を乗り越えたまちの姿を見てくれるに違いありません。   ◎本年もご愛読いただきありがとうございました。どうぞ、良い年をお迎えください。

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  • 第623号【晩秋と初冬が重なる風景】

     11月はじめ長崎駅近くにある本蓮寺(長崎市筑後町)を訪れると、銀木犀(ギンモクセイ)が白い小花を咲かせ、あたりに芳香を漂わせていました。それは、同じモクセイ科で、花がオレンジ色の金木犀(キンモクセイ)よりも、控えめな香り。金木犀は、銀木犀よりも1週間ほど先に開花しましたが、例年より10日ほど遅い10月下旬でした。長崎のまちを包み込んだ独特の甘い香りに、ようやく秋を感じた方も多かったことでしょう。  銀木犀の花言葉は「初恋」だそう。かわいい白い小花とやわらかな香りが、そんな言葉を彷彿させるのでしょう。一方、金木犀の花言葉は、「謙虚」「気高い人」「陶酔」などがあります。その強い芳香の印象とは裏腹に、花自体はとても小さいことから、「謙虚」という言葉につながったといわれています。  庭木などで見かけるのは、圧倒的に金木犀のほうが多いように思えます。ちなみに、園芸業界で「モクセイ」といえば、「銀木犀」を指すそうです。というのも、もともと金木犀は、銀木犀の変種として生まれたものだからです。原産はいずれも中国で、江戸時代に日本に渡来したといわれています。  さて、長崎のまちの樹木に目をやれば、イチョウの黄葉はまばらで、いつもよりやや遅れているよう。桜の木は、紅葉を楽しめないまま落葉したものが目立ちます。ここ数年、晩秋と初冬が重なり、秋が短くなっているように感じる中、これまでの秋の風情とは少しずつ違ってきている様子が伺えました。  この時期らしい草花を探していると、長崎駅前の斜面地で自生と思われる木瓜(ボケ)の花と実を見つけました。木瓜はバラ科の落葉低木。「木瓜の花」は、俳句では春の季語ですが、九州のような暖かい地域では、冬場に咲くものもあり、「寒木瓜」「冬木瓜」という冬の季語で表現されます。  木瓜は、花の後に直径5〜10センチほどの黄色い実を付けます。細い枝にいきなり実がくっついているのが特徴的です。その実が、瓜(うり)に似ていることから、木になる瓜(うり)を意味する「木瓜」の名前が付いたそう。ちなみに、「木瓜の実」は秋の季語。熟した果実は、滋養強壮、整腸作用のある果実酒としても楽しめます。  さて、近頃の気候変動は、渡り鳥の渡来時期にも影響を及ぼすかもしれないと気になっていましたが、秋に大陸から日本に渡ってくるジョウビタキの個人的な観測による初見は、例年並みといったところ。10月末に浦上地区の住宅街でかわいいメスの姿を確認しました。  11月7日立冬の日の夕暮れ時、西の空に宵の明星(金星)と新月から2日目の細い月が出ていました。翌日の昼間には、三日月が金星を隠す天体ショー「金星食」が見られるはずでしたが、長崎はあいにくの曇り空でありました。   今年の金星は、5月頃から夕方になると西の空で輝いています。ひときわ明るく輝いているのですぐに金星とわかります。12月頃まで見られるので、ぜひ、日没後に見上げてみてください。新型コロナのことも、一日の疲れもひととき忘れる美しさですよ。

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  • 第622号【2021年の秋 中川八幡神社】

     10月初旬の長崎は、秋らしい安定した晴天続きでしたが、日中は例年よりも気温が上がり、真夏のような蒸し暑さでした。それでも、庭先のザクロの木には赤い実がなり、山あいにはセイタカアワダチソウやススキが生い茂り、夕暮れには美しい夕映えが広がるなど、秋らしい光景があちらこちらに。季節はずれの暑さも今週までのようで、週末には気温が下がるという予報が出ています。体調管理に気を付けて過ごしたいですね。  コロナ禍2年目の長崎の秋は、感染者数が減っていることもあって、まちの賑わいが少しもどってきたような印象です。しかし、新型コロナの収束時期は、まだ見通しが立っていません。秋の大祭「長崎くんち」は、昨年に続いて中止となり、各地で行われる秋祭りも規模を縮小したところが多かったようです。  中川八幡神社(長崎市中川2丁目)も、秋の大祭のときに境内で行われる伝統の「こども相撲大会」が、昨年に続いて中止になりました。中川八幡神社は、江戸時代初期に創建された神社で、武運の神様である誉田別命(ほんだわけのみこと)、生長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)の御三神が祀られています。境内の一角には武道場があり、剣道、空手、なぎなたなどの稽古場として地元の人々に利用されています。  宮司さんによると、かつては「中川相撲」と呼ばれるほど、相撲が盛んに行われ、佐賀や諫早、島原などからも相撲取りたちが集ったとか。昭和30年代の半ば頃までは境内に土俵が設けられていたそうです。  江戸時代の中川八幡神社は、長崎街道の出入り口付近の街道筋に立地していたこともあり、長崎から旅立つ人や長崎にやって来た人々が参拝に訪れることが多かったそう。境内には長崎奉行や京都の商人と推測される人などから寄進された石灯籠がいまも残されています。  住宅街の一角にあり、どこか庶民的な雰囲気が漂う中川八幡神社の境内。手水舎に2つ並んだ手水鉢のひとつには、色とりどりの花が水面に浮かべられていました。「参拝者が、花を見て心が清められますように。そして前途が花開きますように」という宮司さんの思いからはじめたそう。梅雨には紫陽花、冬には椿と、季節の花々が参拝者をやさしく迎えてくれます。  手水鉢の花を眺めたり、樹齢400年という御神木のクスノキを見上げたりしながら境内を散策していると、御朱印を求めて、何人もの参拝者が訪れていました。宮司さんによる猫のイラストが描かれた個性的な御朱印が喜ばれているようです。  シンと静まりかえった昨年秋と比べたら、人々が動き、賑わいがもどりつつある今年の秋。時代の大きな変わり目を象徴するように、あちらこちらで新しい建物が生まれています。立山では、旧県立長崎図書館跡地に、「県立長崎図書館郷土資料センター」が完成していました。緑豊かで閑静な立山の地になじむ落ち着いた雰囲気の外観。長崎県関係の文献・資料を揃え、提供してくれます。開館予定は、来年3月。いまからとても楽しみです。

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  • 第621号【手水鉢の謎とヤマガラ】

     長崎の寺町通りの一角にある長照寺。こぢんまりとした境内は、日本庭園のように手入れが行き届き、四季折々の花も楽しむことができます。この時期には石畳沿いに植えられたタマスダレがいっせいに咲き誇るのですが、今年はいつもより20日ほども早く開花して、お寺の方も驚いていました。また、お盆の頃にヒガンバナが咲くなど、不順な天候に植物たちも翻弄されているよう。これは、先月の大雨や長雨などで気温の低い時期が続いたためと言われています。いつもと違うことが次々に起こる昨今ですが、自然への畏敬の念を忘れず、コロナ感染予防も怠らず、なるだけ明るい気持ちで日々を過ごしたいものですね。  9月に入ってすぐ、関東では気温が急降下したというニュースが流れましたが、長崎は、曇天ながら蒸し暑い日が続いています。リフレッシュしようと、緑豊かな松森神社(長崎市諏訪町)へ足を運ぶと、手水舍にヤマガラが飛んできました。ヤマガラは住宅街などでも見かける身近な野鳥です。手水鉢の水をクチバシでつつくと、しばし、そこにいて辺りを見回していました。  ヤマガラが留まった手水鉢は、ふちに植物の文様がほどこされた個性的なデザインで知られています。安山岩を削ってつくられたものですが、石工の名や制作年などは刻まれておらず、いつ頃、誰が松森神社に設けたのか、詳細は不明のよう。長崎市史(地誌編神社教会部・上巻/昭和13年発行)には、『〜其の形態は朝顔花を模し構造が巧妙であるので、鑑賞を惹いている』と紹介されています。  しかし、どう見ても、朝顔とは思えず、同じような文様の家紋がないか調べてみました。すると、「河骨紋(こうほねもん)」によく似ていることが分かりました。「河骨」とは、ハスのように水面に葉や花を浮かべる水生植物です。水にちなんだ植物でもあることから、もしかしたら、手水鉢の文様は、「河骨紋」の可能性もあるのでは、と思いました。ちなみに、「河骨紋」は、徳川家の「葵紋」に似ています。  松森神社から東へ3.3Kmほど離れた長崎市本河内地区にある妙相寺(みょうそうじ)。地元では昔から紅葉の名所として知られています。また、アーチ型の石門も有名です。実は、このお寺には、松森神社の手水鉢の雛形ではないかと言われるものがあります。それはお寺の池に、噴水鉢として置かれているもので、現在は池の水が抜け、鉢の全貌が丸見えになっていました。高さ約40㎝、直径約62㎝で、松森神社の手水鉢の半分くらいの大きさです。残念ながら、文様は、苔に覆われて確認できませんでした。写真で、苔がないときのものを見ると、確かに松森神社のものとそっくり。聞くところによると、妙相寺のそれは、蔓性植物のスイカズラを図案化したものだとも伝えられているそうです。   松森神社と妙相寺の手水鉢。実際のところ、何の文様なのか、いつ、誰が作ったのかなど、はっきりしたことは分かりません。だからこそ、いろんな想像を膨らませることになり、歴史探訪の面白さが増すのかもしれません。そんなことを思いながら、人の気配がない妙相寺の裏手に回ると、青々と茂るカエデの木の合間から「ツーツーピー」と鳴き声がしました。またもやヤマガラです。フヨウの木に飛んで来ると、蕾を足で器用につかみ、クチバシを差し込んで蜜を吸いはじめました。いまを夢中で生きる、微笑ましくて、たくましい、ヤマガラの姿でありました。

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  • 第620号【涼を探して、盛夏の長崎】

     暑中お見舞い申し上げます。連日猛暑が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。今週はじめにやって来た台風9号、10号の進路を示した天気図に、早くも「秋雨前線」が現れました。大雨への警戒は引き続き必要ですが、猛暑のピークは過ぎようとしています。この夏は一段と暑さが厳しかっただけに、次の季節が早めにやって来そうだと思うと、ちょっと元気がでます。  涼しげな景色を探して長崎のまちを歩けば、人家近くの草地では、白いユリが夏草の中で揺れていました。テッポウユリかと思いきや、それによく似た「新テッポウユリ」(テッポウユリとタカサゴユリの交配種)でした。テッポウユリの原産は日本の南西諸島から九州南部にかけて。開花時期は、6〜7月です。一方、「新テッポウユリ」の原産は台湾といわれ、開花時期は8〜9月、テッポウユリより葉が細いのが特長的です。炎天下に咲く、清らかで美しいユリの花にしばし暑さを忘れるようでした。  長崎市八幡町の住宅街の一角にある宮地嶽八幡神社(みやじだけはちまんじんじゃ)の鳥居も涼し気な姿をしています。たいへん珍しい陶器製の鳥居で、冷たげな白磁の肌に青色顔料の呉須で唐草文様が施されています。明治21年(1888)に有田でつくられたもので、国の登録有形文化財になっています。有田の陶山神社に同じ製作者による同一の鳥居がありますが、希少性の高い存在です。  諏訪神社に隣接する長崎公園では、噴水が勢いよく水しぶきを上げていました。この噴水は、公園などの装飾用噴水としては、日本でもっとも古いといわれています。水しぶきのおかげで心なしかひんやり。周囲の緑とともに癒される光景でした。  お隣の諏訪神社には、個性的な狛犬が各所に据えられています。その中から、水にちなんだ狛犬をピックアップすると、まずは、「高麗犬(こまいぬ)の井戸」。本殿裏手の通路にちょこんと据えられています。くわえた筒から流れる水は、江戸時代から枯れることのない清浄水として史書に記され、安産に効くと伝えられています。また、「銭洗いの狛犬」とも称され、この水でお金を洗うと倍に増えるという信仰があるそうです。  諏訪神社本殿裏手の石段を登ると、蛭子神社の「河童狛犬」が迎えてくれます。どこか愛嬌のある小ぶりの狛犬で、会話でもしているかのような据えられ方です。頭のお皿に水をかけて祈願します。   神前を守護する役割があるという狛犬。長崎市役所別館の裏手通りにある「出雲大社長崎分院」(長崎市桜町)では、めずらしい動物が神前を守っています。それは、白兎を背に乗せた1対のワニザメです。出雲大社の御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。神話「因幡の白兎」にちなんだものなのでしょう。ワニの表情や左右の兎の姿勢の違いに作者の遊び心が感じられます。しかし、このワニザメ、いわゆる魚類のサメではなく、爬虫類のアリゲーターのようなのです。ずっと気になっているのですが、真相はいまのところ不明です。

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