ブログ

  • 第614号【春のグラバー園で富三郎を想う】

     近頃のお天気は、「春に三日の晴れ無し」ということわざ通り、短いサイクルで晴れたり、曇ったり。そうやってしだいに春めく様子は、暮らしのいろいろなシーンで感じられます。スーパーの鮮魚コーナーは、一年を通して見かけるアジやイワシ、モチウオなどのほかに、旬のマダイ、アマダイなどが並んで春らしい彩りに。その美しい紅色の姿を見て、ふと思い出したのが、グラバー図譜でした。  通称・グラバー図譜こと『日本西部及び南部魚類図譜』は、幕末〜明治の日本で活躍した英国出身の商人トーマス・ブレーク・グラバーの息子である倉場富三郎(1871-1945)が、長崎魚市場に水揚げされる魚類を、地元の画家を雇って制作したものです。描かれた魚類は約600種(図版総数約800枚)に及び、緻密で美しい彩色の描写で知られています。  グラバー図譜は、当時、長崎でトロール漁業の会社等を営む実業家であり、水産学者でもあった富三郎が、日本の魚類の分類学に寄与するために制作したといわれています。大正から昭和初期にかけて21年の歳月と莫大な資金がかけられており、それぞれの図版には、富三郎自らが多くの文献を調べて、学名、和名、俗名などを記しています。図譜にかける富三郎の熱意がうかがえます。  現在、グラバー図譜は、長崎大学附属図書館が所蔵。データベース化されていて、インターネットで閲覧できます。実は、グラバー図譜は、終戦直後に亡くなった富三郎の遺言で、渋沢栄一の孫の渋沢敬三(1896-1963:財界人、民俗学者、第16代日本銀行総裁、大蔵大臣)に託されました。そして、その数年後、再び長崎へもどってきます。その経緯については、1970年代にグラバー図譜の全図版を写真版でまとめた『グラバー図譜』(全5巻・長崎大学水産学部編)にある、渋沢の寄稿(第1巻)の中で述べられています。関心のある方は、長崎市図書館などでご覧になってみてはいかがでしょう。  富三郎のことを思いながらグラバー園へ。グラバーそして、富三郎が暮らした旧グラバー住宅は、2年前から保存修理工事中(工事終了は今年10月29日を予定)でした。庭の一角ではシモクレンがちょっと早めの開花を迎えていました。  現在、旧グラバー住宅に展示されていた品などは、園内の旧リンガー住宅、旧スチイル記念学校にそれぞれ移され、「グラバー特設展」として紹介されています。長崎に生まれ、東京の学習院、アメリカのペンシルバニア大学で学んだ富三郎は、地元長崎にもどると実業家として活躍しました。明治〜大正〜昭和の激動の時代を生き抜く中、父がグラバーであることや自身の日本人離れした容姿などについて、きっと他人には推し量れない複雑な思いがあったことでしょう。  旧リンガー住宅での「グラバー特設展」で、グラバー住宅の食堂を富三郎が撮影した写真が展示されていました。その写真に、藤製の大きなつい立てが写っていて、その現物も見ることができました。つい立は、すっかり色あせていましたが、手の込んだ堅牢な作りに、裕福な暮らしぶりがうかがえました。  長崎港を見渡す緑豊かな丘の上にあるグラバー園。園内を歩いていると、もうじき北へ帰るアカハラ、ジョウビタキの姿がありました。富三郎も、この場所で渡って来た鳥たちを見たかもしれません。  ◎参考にした本/『グラバー図譜』第1〜5巻(長崎大学水産学部 編)  

    もっと読む
  • 第613号【沈丁花とツュンベリー】

     開花とともに、あたりに甘い香りを漂わせる沈丁花。早春を知らせる芳香ですが、マスクをしているとなかなか気付きにくいですね。ご近所の方が、通行人にも香りを楽しんでもらおうと思われたのか、咲きはじめた沈丁花の鉢植えを通り沿いに出していました。マスクをずらして、しばし芳香を楽しめば、卒業や進学、就職など、人生の大切な節目を迎えた春の記憶があれこれよみがえります。香りって不思議ですね。  沈丁花の原産地は、中国中部からヒマラヤ地域にかけて。日本へは室町時代に渡来したといわれています。沈丁花の名は、香木の「沈香(じんこう)」と、エキゾチックな香りのスパイス「丁子(ちょうじ)」(クローブ)に由来。学名であるDaphne odoraの名付け親は、江戸時代、出島のオランダ商館付医師として来日したツュンベリーだそう。植物学者でもあったツュンベリーは、出島で栽培されていた沈丁花を観察し、学名を付け学会に発表。この学名の語源も、やはり芳香を意味する言葉だそうです。  スウエーデン生まれのツュンベリーは、生物の分類学の創始者であるリンネ(1707-1778)の高弟で、植物学者として優れた才能を持っていました。出島にやって来たのは1775年で、滞在はわずか1年ほどでしたが、その間に採取した日本の植物は800種余りもあったそう。帰国後、その植物を『日本植物誌』に著し、ヨーロッパに広く紹介しました。このとき、初めて世界に紹介された植物も多く、カキ(Diospyros kaki)、サザンカ(Camellia Sasanqua)など、日本での呼び名がそのまま学名になったものもあります。  ツュンベリーは、同じオランダ商館付医師として1690年に来日したケンペル、1823年に来日したシーボルトらと並び、出島の三学者と呼ばれる人物です。三人は、それぞれの時代においてヨーロッパの近代医学を日本に伝え、来日中は、優れた収集力と洞察力で日本の自然や風習、文化などを調査・観察し、帰国後にそれらを著し、広くヨーロッパの人々に伝えました。現在、出島には、かつて薬草園だった場所に、ケンペルとツュンベリーの名を刻んだ記念碑が残されています。これは、シーボルトが先達のふたりの功績を讃えて1826年に建立したものです。  三学者らが、日本の植物などを数多くヨーロッパに伝えた一方で、日本にはじめてオランダ船が運んできた植物にはどんなものがあったのでしょう。往時の町並みが復元されつつある現在の出島の西側近くに建つ「二番蔵」にその答えが展示されていました。野菜や果物なら、トマトやセロリ、パセリ、パイナップル、イチゴなど。花なら、キズイセン、ストック、シロツメクサ、マリーゴールド、カラー、ヒマワリ、オシロイバナ、キンレンカなどなど。いまでは、日本の暮らしになじみのあるものばかりですね。  冒頭で紹介した沈丁花の名にゆかりのある丁子(クローブ)も、シナモンやナツメグとともに、痛み止めや防腐効果などのある薬種のひとつとしてオランダ船がたくさん運んで来ていました。いまでは、料理やお菓子作りによく使われるスパイスですが、当時はとっても貴重なものだったようです。  ◎参考にした本/『ガーデニング植物誌』(大場秀章)

    もっと読む
  • 第612号【春がはじまる2月】

     今年の節分は、124年ぶりの2月2日でしたね。各地の神社では、新型コロナウイルス感染予防対策を万全にして、古いお札やお守りをお焚き上げする火焼神事(ほやきしんじ)が行われました。長崎市民の総鎮守・諏訪神社では、毎年賑やかに行われてきた節分祭の年男・年女による豆まき行事は中止となりましたが、火焼神事は例年どおり踊馬場で行われました。人々がとても静かに炎を囲んでいたのが印象的でした。  立春(2月3日)が過ぎてから、九州はおおむね晴天が続いています。春めく日差しのなか、ぐんと気温が下がる日もありますが、そうやって春がやって来るのですね。気象で春を告げる現象のひとつに、「春一番」がありますが、これは立春から春分の間に、初めて吹く南寄りの強風のこと。「春一番」が吹くと日本海の低気圧が発達し高波や激しい雨などの荒れた天候になります。今年、関東地方では、立春の翌日に「春一番」が来ました。これは、過去最も早い記録だそう。実は九州北部では、立春前の2月1日に「春一番」を思わせる強風に見舞われました。もしかして、季節は前倒しで巡っているのかもしれません。  もうひとつ、春によく見られる気象現象に、「黄砂」があります。「黄砂」は、中国大陸の黄土地帯で多量に吹き上げられた砂じんが、偏西風に乗って日本へ飛来するものです。砂じんは大気中に浮遊、あるいは地上にふりそそぐため、空気が埃っぽく感じられ、視界も悪くなります。この「黄砂」が、数日前の2月7日に飛来。長崎のまちは、うっすらと黄色がかった大気に包まれました。  「黄砂」のように、中国大陸から渡って来たものと言えば、長崎には数え切れないほどありますが、節分に食べられる長崎の伝統野菜、紅大根(あかだいこん)もそのひとつです。一説には江戸時代に中国から渡り伝えられたといわれています。紅色をした細長い姿が「赤鬼の腕」のようだとして、食べれば鬼退治になる、子供たちがたくましく育つとして、昔から節分の日には神棚に供えられ、その後、甘酢漬けなどにしていただきました。  紅大根は、大根とはいってもカブの仲間。2ミリほどの厚さの紅い皮の下は、真っ白です。甘酢漬けにすると、皮の色素がより鮮やかになり白い部分も真っ赤に染めてしまいます。この紅色は何かと体にいいアントシアンの色素です。また大根と同じように豊富に含まれたジアスターゼ等の酵素が消化を助けます。  節分の日に赤大根とともに食べられるのが、地元で「ガッツ」と呼ばれ親しまれている、金頭(かながしら)という魚の煮付けです。その名前からしてお金が貯まるという縁起もの。内臓をとらずまるごと煮付けていただきます。アラカブにも似たダシがよく出るので、味噌汁にしてもおいしいです。   「紅大根の甘酢付け」や「金頭の煮付け」のように、大きな時代の危機や変化をいくつもくぐり抜けながら、長い間、食べ継がれてきた行事食は、全国各地にいろいろと残っています。それを、人々がけして手放さなかったのは、季節感や味わいもさることながら、その行事食に込める人々の願いが、どんな時代も切実で変わらぬものであったからかもしれません。

    もっと読む
  • 第611号【長崎のウメ、咲きはじめました】

     季節はまだ「寒の内」。九州では、積雪のあと3月のような陽気に汗ばむ日もあるなど、寒暖の極端な天候が続いています。そうしたなか、季節は着々と春へ向かっているようです。地元の野菜が並ぶお店で、「ふきのとう」を見かけました。雪解けの頃に芽を出し、いち早く春を告げる「ふきのとう」。その独特の芳香と苦味をさっそく和え物にして楽しみました。  早春といえば、そろそろウメも咲きはじめる頃ですね。ちなみに、昨年の長崎のウメの開花日は1月16日。今年の発表はまだのようです(長崎地方気象台HPより)。余談ですが、ウメやソメイヨシノなどの開花やウグイスの初鳴きといった季節によって変化する植物や動物の状態を観測する「生物季節観測」について、昨年末にちょっと寂しいニュースがありました。気象庁で長年続けてきた「生物季節観測」が、その対象となる全57種類の動植物のうち、51種類が昨年いっぱいで廃止に。ウメ、サクラ、アジサイ、ススキ、カエデ、イチョウの6種類の植物の観測は続けられるそうです。  さて、ウメの観測が続けられることにホッとしながら訪れたのは、「松森天満宮」(長崎市上西山)です。緑豊かな境内の静けさを楽しみながら本殿へ向かうと、新型コロナウイルス感染予防のため、手水鉢のひしゃくと、参拝時に鳴らす鈴の緒がはずされていました。ここの手水鉢は植物をかたどったような文様が美しいことで知られています。昭和13年発行の『長崎市史地誌篇神社教会部上巻』にも「其の形状は朝顔花を模し構造が巧妙であるので観賞を惹いて居る」と紹介されています。コロナ以前は、鉢の中央に竹を渡してひしゃくが置かれていましたが、思わぬ事情でその文様全体を見ることができました。  菅原道真公を祀る松の森天満宮。この時期は、受験生の姿をよく目にするのですが、今年はコロナ禍だからか、学生さんは少ないよう。「代わりに親御さんがいらしているようですよ」と神社の方がおっしゃっていました。  参拝を済ませたら、のんびりと境内をひとめぐり。点在する楠の巨木(市指定の天然記念物)は参拝者を温かく見守るかのよう。本殿そばに植えられたウメの木は数輪が開花し、たくさんの蕾はいまにも咲きそうなふくらみでした。ウメよりも数週間ほど早く開花したロウバイも、香りは弱くなっていましたが、花に顔を近づけると水仙に似たさわやかな芳香が残っていました。「今年は天候が不順で、ロウバイにしてもウメにしても開花や、見頃については、なかなか予測がつきにくいのですよ」と神社の方。  本殿の裏手に回ると、大きく育った柑橘の木が今年もたくさんの実を付けていました。その実は、温州みかんくらいの大きさで色はレモンに近い。長年気になっていたその種類を神社の方にうかがうと、「以前、調べてもらったのですが、どうも、ゆうこうらしいのです」とのこと。「ゆうこう」は、ユズやスダチ、カボスなどと同じ香酸柑橘の一種で、長崎の伝統柑橘です。長崎市内では、キリシタンゆかりの地に自生が確認されています。   江戸時代前期の寛永3年(1626)に創建され、明暦2年(1656)に現在地に移設された松森天満宮。人の目にふれにくい本殿裏手の片隅で、のびのびと育ったゆうこうの木。自生なのか、誰かが植えたものなのか、その由来はまったく分からないそうです。

    もっと読む
  • 第610号【ふっくらかわいい冬の野鳥】

     昨年末から「冬らしい寒さ」が続いています。先週からの強い寒波の影響で、北陸・新潟などでは記録的な大雪に。積雪による被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。長崎でも先週末、最大15センチの積雪がありました。北国に比べたらわずかですが、なにせ雪には不慣れな土地柄です。公共交通機関は一時運転を見合わせ、観光スポットやお店は、臨時休業や営業時間を遅らせるなどの対応に追われたようです。  さて、いろいろと厳しい状況が続きますが、今年最初の当コラムでは、冬の野鳥の姿でひととき和んでいただきたいと思います。いずれも、石橋群で知られる中島川界隈で見かけるおなじみの鳥たちです。  トップバッターは、丸々とした姿がかわいらしい「ふくらスズメ」です。羽毛はもともと断熱性に富んでいますが、羽をふくらませることで空気の層を作り、より保温力を高めます。冬にしかお目にかかれないこの姿は、「寒雀」とも呼ばれ俳句などでもよく詠まれます。「寒雀酒蔵を出る糀の香」長崎ゆかりの俳人、森澄雄(1919-2010)の句です。厳寒の時期、酒の仕込みをする酒蔵の風景が蘇ります。  羽毛をふくらませているのは、スズメだけではありません。川辺で獲物をじっと探していたのはイソヒヨドリです。ふくらむと別の鳥のようにも見えます。ムクドリやメジロも寒さ対策は同じ。お腹をふくらましたフグを連想します。  積雪の日の朝、最初に出会ったのがジョウビタキでした。秋、極寒を迎える前に大陸を離れ渡ってくるだけあって、日本の冬の寒さなど、どうってことないのです。メスはとってもかわいい。オスもまあ、かわいい。オスとメスは同じ種類とは思えないほど体の色が違いますが、よく見ると、両方とも翼の同じ場所に白斑があり、尾羽がきれいな橙色をしています。  川辺でじっとしていたかと思うと、すばやく飛び立ち水面にむかってダイビングしたのはカワセミです。長いクチバシで小魚をとらえました。防水性のある羽が水をはじくのでビショビショになったりしません。  逆さになって、ナンキンハゼの実をついばんでいたのは、シジュウカラ。全国各地に生息する留鳥です。枝先にぶらさがったり、逆さの体勢で餌をとるのが得意技です。  イソシギは、中島川の上流から河口付近にかけて見かけます。トコトコと歩きながら、細くて長いクチバシで餌をついばみます。お腹の真っ白な羽毛が翼の付け根のところまでくいこんでいるのが特長です。  餌が少なくなる冬は、野鳥にとってもきびいしい季節ですが、小さいながらも、したたかに生きる姿に、ちょっぴり励まされます。 今年もみろく屋の「ちゃんぽんコラム」を、よろしくお願い申し上げます。  

    もっと読む
  • 第609号【見えてきた!長崎の近未来】

     師走も中旬を過ぎた頃から、長崎もようやく冬らしい寒さになってきました。北陸や関東北部など大雪に見舞われた地域の方々に心を寄せつつ、日々のあれこれをたんたんとこなしながら、できるだけ静かに、やさしい気持ちでコロナ禍の暮れを過ごせたらいいですね。  散歩がてら緑豊かな諏訪の杜へ足を運ぶと、大きな楠の枝にノスリが留まっていました。ノスリはタカ科の漂鳥で、全長約55センチ。フクロウにも似た丸みを帯びた姿をしています。曲がったクチバシと目が、いかにも猛禽類らしい。タカ科ならではの目力で周囲を見渡していました。  ノスリを見かけたのは、かつて長崎県立長崎図書館があった立山の一角。図書館の跡地は、すっかり更地になっていました。来年度末には、「県立長崎図書館郷土資料センター(仮称)」が開館する予定です。  新型コロナ感染症によって世界中がさまざまな変革を求められるなか、はからずも長崎のまちも100年に一度の大きな変化の真っ只中にあります。「県立長崎図書館郷土資料センター(仮称)」以外にも、今後、数年のうちに新時代に向けたさまざまな建造物が完成予定で、まちを歩けば、あちらこちらでタワークレーンを目にします。新しい時代へ進んでいることを実感できる光景です。立山からほど近い長崎市役所新庁舎も再来年の完成に向けて工事が進んでいます。  長崎の新時代を象徴する場所は、やはり長崎駅を中心とした界隈です。2022年には九州新幹線西九州ルートの長崎〜武雄温泉間が開業予定です。新幹線のネットワークにつながることで、新しい交流の広がりが期待されています。それにさきがけて、今年3月には在来線の新しい駅舎が開業しています。  そして、来年11月1日には、新長崎駅に隣接する場所に、「出島メッセ長崎」がオープンします。大規模な大会や学会を開催できる広さのコンベンションホールをはじめ、会議室、イベント・展示ホール、そして長崎の風景を楽しめるリバーサイドデッキなどを設けた建物です。さまざまな出会いと交流を生み出す拠点になることでしょう。建物は、来年春には完成するそうです。  長崎駅に近い浦上川沿いには、地元長崎のサッカーチーム「V・ファーレン長崎」の本拠地となる「長崎スタジアムシティ」も誕生(2024年予定)します。こちらは、最大23,000席のスタジアムになるとか。本当に待ち遠しい限りです。  このスタジアムや「出島メッセ長崎」などが生まれる浦上川沿いは、原爆投下直後、深い悲しみの光景が広がっていました。その場所が、約80年の時を経て、国内外から大勢の人々が集い、平和の象徴であるスポーツを楽しめる場所に生まれ変わります。この地で生まれるさまざまな感動や絆は、原爆犠牲者の慰霊にもつながると信じたい。  少しずつ形作られていく長崎の近未来。新しいまちで生き生きと過ごすために、いまはエネルギーをチャージするときともいえるかも。元気に弾けるその日まで、希望のわくわくどきどきを大きくふくらませておきたいですね。    本年もちゃんぽんコラムをご愛読いただき、誠にありがとうございました。

    もっと読む
  • 第608号【長崎と恐竜と野鳥】

     師走に入ってからも長崎では小春日和が続いています。そんななか、路地や家々の庭先でニホンズイセンを見かけるようになりました。シンプルな姿と甘い芳香で古くから親しまれているニホンズイセン。長崎市内では、この花の名所として「水仙の里」(野母総合運動公園)が知られています。  「水仙の里」は、長崎半島先端に位置する野母崎地区にあります。冬の寒さが本格的になると、海岸そばの丘一面に約1,000万本のニホンズイセンが咲き誇り、花の香りと潮の香があたりを包みます。環境省の「かおり風景百選」にも選ばれた、心和む香りのある風景です。丘から見える軍艦島(端島)は、島内の建造物が分かるくらいの近さ。海岸にせまる長崎半島の山々は緑豊かで、耳を澄ませば、潮騒と野鳥の鳴き声だけが聞こえてきます。  ところで、「水仙の里」では花が見頃を迎える頃に「のもざき水仙まつり」を行っていましたが、今年度は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止になりました。ただ、まつりはなくても、「水仙の里」へはいつでも訪れることができます。感染防止対策を万全にして楽しみたいものですね。  今回、満開を待たず、ひと足先に「水仙の里」へ足を運びました。というのも、同敷地内で建設中の「長崎市恐竜博物館」を一目見たかったのです。この博物館は、来年10月にオープン。恐竜に特化した日本の博物館としては、「福井県立恐竜博物館」、「御船町恐竜博物館」(熊本)についで3つ目になるそうです。着々と工事が進められているいまの現場の状況は、建物の大きさが分かる程度。博物館の前には「子ども広場」も設けられ「長崎のもざき恐竜パーク」として整備されるそう。開館が待ち遠しいものです。  それにしても、なぜ、長崎に「恐竜博物館」ができるの?と思う方も多いかもしれません。それもそのはず、長崎で恐竜の化石が発見されたのは、意外にも最近のことで、平成20年代に入ってから。長崎半島の西海岸などに分布する三ツ瀬層と呼ばれる約8,100万年前の白亜紀後期の地層から、大型恐竜として知られるティラノザウルス科の化石が長崎県で初めて発見されました。恐竜時代の地層である三ツ瀬層は、地表に現れているのが特徴的で、その後も同地層から別の種類の恐竜の化石が次々に発見され、研究者たちの注目を浴びました。こうしたことから、化石の発掘現場に近い野母崎地区に、「恐竜博物館」が誕生することになったようです。  そもそも恐竜が誕生したのは、いまからおよそ2億3,000万年前のこと。それから1億6000万年以上も恐竜の時代は栄え続けましたが、6,550万年前に絶滅しました。ちなみに人類が誕生したのは、500万年前。恐竜が栄えた年月と比べたら、人類の歴史はまだまだ浅いのです。世界各地で化石が発見されているものの、まだまだ未解明なことが多いという恐竜の研究。この先、人の想像を遥かに超えた驚きが待っているかもしれませんね。   さて、白亜紀末に絶滅したとされる恐竜ですが、一部の恐竜は鳥に進化したともいわれています。「水仙の里」の帰路、海岸の岩場でミサゴを発見。獲物を探しているのか、海上を静かに見渡していました。ほかにもイソヒヨドリ、ジョウビタキ、メジロ、ハクセキレイなども見かけました。こうした鳥たちが恐竜の子孫かもしれない思うと、生物の進化の不思議と面白さを感じるのでした。

    もっと読む
  • 第607号【2020年イチョウの黄葉】

     旧暦では、枯葉が落ちて冬の寒さがはじまる「小雪(しょうせつ)」に入りました。北国ではすでに積雪に見舞われているところもありますが、長崎は、この時期にしては極端な冷え込みもなく、過ごしやすい日が続いています。今年の冬は、ラニーニャ現象の影響で〝冬らしい寒さになる〟と、数ヶ月前の長期予報では言っておりましたが、こんなに小春日和が続くと、本当かしら?と疑ってしまいそう。ただ、九州の本格的な寒さは、年が明けてからやって来るので、暖冬を決め込むには、まだ早い。とにかく冬は始まっているのですから、急な冷え込みで風邪をひいたりしないように、気を付けたいですね。  11月も終わりに近づいて、ナンキンハゼ、カエデ、クヌギ、イチョウなどの街路樹は紅葉し、歩道には落ち葉がいっぱい。マスクを付けた人々が落ち葉の上を、カサコソ、サクサクと音を立てて行き交います。眼鏡橋がかかる中島川沿いの一角にある光栄寺(長崎市桶屋町)では、境内の真ん中にある大イチョウが、黄葉の見頃を迎えようとしていました。  光栄寺は、幕末、若き日の福沢諭吉が寄宿したお寺として知られていますが、地元では、四季折々の姿で来訪者の目を楽しませているこの大イチョウの方が有名かもしれません。今年は、台風で葉を落としたイチョウが多いなか、光栄寺の大イチョウは無事でした。しかし、春以降の大雨、猛暑、台風、季節外れの暖かさと、例年とはちょっと違った気候にとまどいもあったようで、フサフサと付いた葉は黄金色になりきれないでいるよう。それでも、通行人たちの足を止める美しさに変わりはなく、樹のたもとに近づいて色づいた葉を拾う人の姿もありました。きっと、しおりにするのでしょうね。  ところで、イチョウの葉をよく見ると、真ん中あたりに深く切れ込みが入ったものと、そうでないものがあります。図鑑によると、切れ込みのある方は、若く勢いのある枝に付いていた葉だそうです。  光栄寺からほど近い寺町通りにある大音寺(長崎市鍛冶屋町)では、樹齢300年を超えるという大イチョウ(市指定天然記念物)が黄葉の見頃を迎えていました。こちらの大イチョウは台風のときに枝葉をけっこう落としたみたい。例年によりボリュウムがない印象でした。  大音寺に隣接する晧台寺(長崎市寺町)では、墓域の一角に少し変わった形のイチョウがあります。太い幹から細くて短い枝が無数に出て、葉がまとわりつくように付いています。樹形は、光栄寺のような「杯形」でもなく、街路樹に多い「円錐形」でもありません。イチョウにもいろいろな種類があるようです。樹の下にギンナンが落ちていないところを見ると、雄株のようです。  中国原産の落葉高木である「イチョウ」。全国的に街路樹としておなじみで、お寺や神社などでもよく見かけます。なかには御神木として崇められている樹もありますよね。社寺に植えられるのは、四季折々の姿を楽しめることに加え、樹木全体に水分を多く含み燃えにくいため防火の役割を果たすからといわれています。   私たちにとって身近な樹木の「イチョウ」ですが、恐竜の時代から生き残ってきた植物であることは、あまり知られていないよう。氷河期のような極端な気候変動のときには、無理をせずじっとして、温暖なときにはスクスク伸びて種子をつなぎ、ときには人間に翻弄されながらも、自然体のたくましさで生き延びてきたのでしょう。人間もイチョウのそんな姿にあやかりたいものです。

    もっと読む
  • 第606号【大浦海岸通り界隈】

     先月末、山の斜面に広がる住宅街の石段を登っていると、「ヒッ、ヒッ」という野鳥の鳴き声がしました。久しぶりに聞く声だなと思い目をやると、電線につかまり周囲を見渡しているジョウビタキの姿がありました。ジョウビタキは、毎年10月頃、ロシアや中国の東北部あたりから日本に渡り冬を越します。スズメほどの小さな体ひとつで海を越え、山を越えてやって来るのですから本当に驚きです。電線のジョウビタキは、こちらの視線に気付いても飛び去ったりせず、しばらくは、そ知らぬふり。あまり動じない性格のようです。  渡り鳥もやってきて、季節はどんどん巡っています。それにしても今年の秋は、西日本では晴天の日に恵まれました。立冬に入ってからも気持ちのいい晴天が続いています。例年ならこの時期の長崎は、修学旅行生が街中を闊歩しているところですが、残念ながら今年は見られません。それでも「GO TOキャンペーン」が始まってから、少しずつ観光客が増えているよう。幕末の開港後、外国人居留地として賑わった大浦界隈へ足を運ぶと、マスク姿の観光客で賑わっていました。  出島から市街を南へ進んだところにある大浦地区。路面電車が走る海岸沿いの車道は、「大浦海岸通り」と呼ばれ、海岸に迫った山際の斜面は、大浦川をはさんで南山手地区、東山手地区に分かれています。南山手地区はグラバー園や大浦天主堂、東山手地区は孔子廟やオランダ坂などが代表的な観光スポット。ほかにもこの界隈には洋館が点在し、石畳の通路やレンガ塀も残っていて、居留地時代のエキゾチックな風情が漂っています。どこか郷愁を誘うその光景は、街路樹が秋色に変わるこの季節がよく似合います。  見所満載なこの界隈のなかで、ちょっと寄ってほしいのが、海岸沿いの「長崎港松が枝国際ターミナル」(長崎市松が枝町)です。ここは、大型国際クルーズ船のターミナルですが、現在は休業中で建物の中には入れません。ただ、建物の屋上は緑地公園になっていて、解放されているようです。外側からゆるやかな弧を描く屋上へデッキを登れば、長崎港の景色が目の前に広がります。水平な視線で見渡す長崎港は、山頂から見渡す景色とまた違った味わいです。  「長崎港松が枝国際ターミナル」近くの大浦海岸通りの一角には、煉瓦造平屋建の建物があります。周囲の建物とはあきらかに時間の流れが違うレトロな佇まい。明治31年(1898)建造の「旧長崎税関下り松派出所」(国指定重要文化財)です。現在は、「長崎市べっ甲工芸館」として利用されています。建物の外観はこぢんまりとしていますが、重厚な入り口は引き戸で、窓の形、破風を設けた屋根のしつらえなどは、素人目にもデザインの魅力が伝わってきます。中に入ると、税関時代を彷彿とさせる間取りが残され、照明器具は、とっても簡素ながらシャンデリア風。建物の後ろ側には、渡り廊下でつながったトイレがありました。   幕末の開港後も貿易港として重要な役割を果たした長崎。「旧長崎税関下り松派出所」は、当時の税関施設の状況がうかがえ、資料的価値が高いそうです。受付の方が、数年前、税関時代を知るという90代くらいの男性が訪ねて来られたという話をしてくれました。大がかりな修理を経て上手に残された建物の状態に、その方は、きっと、当時の記憶が鮮明に蘇ったにちがいありません。

    もっと読む
  • 第605号【穴弘法から見渡す浦上の地】

     気持ちのいい秋晴れが続いた長崎の10月。朝晩はさすがに冷え込みますが、日中は蒸し暑さを感じることも。川ではスズメが尾を広げて水浴びを楽しむ光景が見られました。コロナ禍の秋、感染予防という緊張の一方で、例年より静かでややスローダウンした日々が続いています。だからでしょうか、いつもなら見逃してしまう何気ない光景にも目が行きます。感染対策を万全にして、この季節をゆっくり味わいたいものです。  ふだんはなかなか足を運べずにいた場所へ行ってみようと、地元で「弘法さん」、「穴弘法」などと呼ばれ親しまれている「長崎高野山 穴弘法寺」(長崎市坂本町)と、穴弘法寺の奥之院「霊泉寺」(長崎市江平)を訪ねました。弘法大師などを祀る「穴弘法」は、長崎市街地の北東側に位置する金比羅山の中腹にあります。市街地を走る路面電車の最寄りの電停から、徒歩30分前後で到着しますが、ふもとの浦上地区から坂道や石段を登り続ける道のりは、ちょっとした登山のようです。  ルートは、電停「大学病院」か「原爆資料館」から、長崎大学病院をめざし、そこからさらに車道を登って坂本小学校へ。校門前の道路の左手に階段が見えます。斜面地の住宅街の上下をつなぐその階段を登っていくと、コンクリートだった階段が、ゴツゴツとした山道の石段に。まもなく「穴弘法寺」です。  「穴弘法寺」の本堂は、こぢんまりとした佇まい。境内には澄んだ山の空気が漂っています。参拝を済ませた後、裏手の山へまわり、弘法大師などが祀られている巌穴へ。靴を脱ぎ、腰をかがめて中に入り参拝。神聖な気分で巌穴を出ると、眼下に浦上地区を中心とした市街地が広がっていました。街の向こう側には山々がゆるやかな稜線を描き、その上には秋の雲が泳ぐ青空が見えます。とても美しい景色でした。  「穴弘法寺」は、戦時中、旧長崎医科大学の救護所に指定されていました。原爆が浦上に投下された昭和20年8月9日、大学関係者らをはじめとする多くの市民が惨禍を逃れようとこの寺をめざしましたが、途中で息絶えた方や辿り着いても亡くなられてしまう方が大勢いました。しかも、爆心地から約900メートルしか離れていなかったお寺自体も爆風で全壊。その惨状は想像を絶するものであったと語り継がれています。  「穴弘法寺」からさらに200メートルほど登ったところにあるのが、奥之院「霊泉寺」。標高約130メートル。ここにも本堂の裏山に岩穴があり弘法大師が祀られています。原爆が投下された時、「霊泉寺」もまた建物は全壊。多くの石像が破壊されました。現在、敷地内にはたくさんの石仏が祀られていますが、なかには原爆の被害にあったものと思われる像も残っています。  ここは、昔から湧水の地として知られていて、原爆が投下された後、多くの人々がその水を求めて登ってきたそうです。毎年、8月9日に行われる「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」での献水は、数カ所の被爆者ゆかりの地から汲み上げた水が使われます。「霊泉寺」の湧水もそのひとつです。   穴弘法から、いまは美しい浦上の市街地を眺めていると、75年前の原爆後の荒野とそのなかにいた人々へと想いがいきます。原爆の巡礼の地でもある穴弘法。亡くなられた方々のご冥福と平和をあらためて祈念する秋でした。

    もっと読む
  • 第604号【秋の空を見上げよう】

     台風が過ぎ去るごとに、深まる秋。そんななか長崎では9月下旬頃から季節はずれのサクラの開花があちらこちらで確認されています。これは、同月初旬にやってきた大型で非常に強い勢力の台風10号の影響ではないかといわれています。この台風による強風で、サクラの木は色づきはじめた葉を落とし、その後、春のようなポカポカ陽気が続いたことで花を咲かせたようなのです。  いつもの年なら、「春と間違えたのね〜」と笑ってすませるところですが、今年は、「どうしたものか…」と思うほどその数が多い。長崎市街地でサクラの名所として知られる立山公園や風頭公園でも、多くのサクラの木が葉を落とした枝先に花を付けていました。枝先に数輪の花を付ける秋のサクラは、春とはまた違う風情を楽しめますが、サクラの木にとっては、年に2度の開花はちょっとしんどいかもしれませんね。  秋のサクラを見上げれば、花の向こうに、空気が澄んだこの季節ならではの空が広がっています。日中の雲も、夜の星々の様子も鮮明で、自然と空を見上げる回数が多くなりますね。この10月は、1日が「中秋の名月」でしたが、今月は満月が2回(2日、31日)あり、さらに、29日は、「豆名月」「栗名月」とも称される「十三夜」です。月を眺めながら、秋の夜長を楽しみたいものです。  今月1日の「中秋の名月」の夜、諏訪神社へ出向くと、長坂(参道の長い階段)に座って月を眺める人たちの姿がありました。月は、まちの東側にある豊前坊(飯盛山)と彦山が連なる山の上にあり、北東側には火星が赤く光っていました。  江戸後期の1804年(文化元年)9月、幕吏(支配勘定役)として長崎奉行所立山役所へ赴任した大田南畝。お江戸では狂歌師「蜀山人(しょくさんじん)」として名声を高めていた彼は、1年ほどの長崎滞在の間に、「長崎の山から いづる月はよか こんげん秋は えっとなかばい わりたちも みんな出てみろ今夜こそ 彦山やまの 月はよかばい……」と長崎の方言を使って彦山から出た月のことを詠みました。この歌は、ときを超えて今も長崎の人たちに親しまれています。  空気が澄んだ秋の月夜は、運が良ければ「月光環」を見ることができるかもしれません。「月光環」とは、月に薄雲がかかったとき、月の周囲に虹色のリングが見られる現象です。実は、10月2日の深夜(満月)、日付が変わる頃に、この「月光環」を確認。雲の流れが早いため、虹色のリングは間もなくくずれ、色合いも変化。あわてて向けたカメラには、くずれた「月光環」の一部が写っていました。  秋は、夕焼けもきれいですが、たそがれどきの月で、「地球照」という現象を見れるかもしれません。夕時の長崎のまちの西の空をとらえた写真の「月」をよく見てください。小さいので確認しづらいかもしれませんが、これは、9月の三日月で、光があたっていない部分もうっすらと見え、丸い月の形がわかります。これを「地球照」といい、地球で反射した太陽光が月面に当たっていることから見られる現象です。   秋の空は、たまにしか見ることができない現象に出会える機会が多いよう。空を見上げることは、気軽にできる気分転換です。ちょっと、見渡してひと息つきませんか。

    もっと読む
  • 第603号【発掘された南蛮貿易時代の石垣】

     今年も、秋のお彼岸を知らせるように咲きはじめたヒガンバナ。「敬老の日」、「秋分の日」と続いたこの連休、お墓参りに出かけた方も多いことでしょう。彼岸の中日でもある「秋分の日」は、昼と夜の長さがほぼ同じ。きょうからしだいに夜が長くなって、秋が深まっていくのですね。  九州では日中、蒸し暑さがまだ残っていますが、ずいぶん過ごしやすくなりました。コロナ禍のなか、この夏の猛暑を乗りきったことに安堵しているのは人間だけではないようで、中島川の川面を見つめるアオサギやカワセミも、どこかほっとしているみたい。空を見上げれば、いわし雲。台風に警戒しつつ、このさわやかな季節を十分に味わいたいものです。  9月12日、「旧県庁舎跡地」で昨年度から実施されている発掘調査についての現地説明会へ行ってきました。調査状況が一般に公開されるのは今回が2回目(※1回目については、当コラム585号に掲載)。前回、まだ埋められていた状態だった場所が広く掘り起こされ、古めかしい石垣が現れていました。  前県庁舎時代、駐車スペースだった場所に現れたその石垣は、長さ約60m、高さ約6〜7m。場所によって石の表情や積み方が違うのが素人目にも分かりました。これは、補修や積み替えが繰り返し行われてきたことによるものだそう。  今回、公開前から注目されていたのが、この石垣の根石部分に、1610年代に積まれた可能性が高い場所が見つかったことでした。1610年代のこの場所には、教会があり日本のキリスト教の本拠地としてイエズス会の本部も置かれていました。長崎のまちは全国から信徒が集まり南蛮貿易で発展をとげていた一方で、禁教令によってそれらが破壊されていく激動の時代でもありました。  現地説明会のこの日、未明から早朝にかけて大雨が降り、石垣前には大きな水溜りができていました。水溜りの底が、江戸時代の平地にあたるそう。ずいぶん埋め立てられて現代に至ったことが分かります。今回、水溜りの影響で1610年代の石垣を直接見ることはできませんでした。しかし、いろいろな時代を経てきた大きな石垣を目の当たりにして、これまで、歴史の教科書にしかなかったもろもろの時代が、現代と地続きであることを少なからず実感できました。  旧県庁舎跡地は、その昔、緑におおわれた岬の突端で、小さな祠がひとつ置かれていただけと伝えられています。そんな場所が、1571年(元亀2)、長崎が南蛮貿易港として開港したことで、歴史の表舞台に躍り出ることに。南蛮貿易時代には教会(イエズス会本部)、江戸時代には、糸割符宿老会所、長崎奉行所、長崎西役所、明治以降は、長崎裁判所(後に長崎府)、広運館、長崎県庁(初代〜4代目)と、いつの時代にも重要な施設が建てられ、長崎の中心地として機能してきました。   日本の近世・近代にとってもたいへん重要な場所である旧県庁舎跡地。形が見えなくなると、まちの記憶は風化し、日本の歴史の風化にもつながりかねません。過去を見つめ直すことは、今の足元をしっかりさせることにつながるはず。遺構の確認が難航を極めることは想像に難くありません。ですが、発掘調査にあたる方々には、がんばってほしい。多くの人が注目し、応援しています。

    もっと読む
  • 第602号【昔懐かしい味で元気になろう】

     台風9号・10号で被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。一日も早く普段の暮らしにもどれますようお祈りいたします。   次から次にいろいろなことがあって何だかしんどいな、というときは、昔ながらの懐かしい味わいが、心と身体をいたわってくれます。たとえば、「甘酒」。近年、「飲む点滴」とか、「飲む美容液」などと評され、その栄養価があらためて注目されていますね。かつては、節句や祭りのときなど折々に家庭で作っていたものです。江戸時代には「甘酒売り」がいて、暑気払いに飲まれていました。長崎では、秋祭りときには食卓にあがります。身心が高揚する祭りをのりきるためには、欠かせない飲み物なのです。  昔ながらの味というと、「サツマイモ」をつかった食べ物がいろいろ浮かびます。「サツマイモ」は、便秘を予防し、シミ・ソバカスにもいいといわれる健康・美容野菜です。日本へは、17世紀はじめ、琉球経由でオランダ船が平戸に運び植えたのが最初ともいわれています。そんな歴史的背景もあってか、長崎県内各地には、いも寄せ(野母崎)、びょうたれ(諫早)、どんだへもち、ろくべえ(島原)、かんころもち、かんころ団子(五島)など、「サツマイモ」をつかった食べ物が九州のなかでもとくに多いような気がします。  対馬の「せん」は、昔のきびしい島の暮らしから生まれた保存食。「サツマイモ」から取り出したでんぷんを粉を固めたもので、洗い、発酵、乾燥、水戻し、漉し、乾燥など、いくつもの工程を経て作ります。仕上がるまで約2ヶ月かかるそうです。保存しておいた「せん」は、水を加えてこねて、団子や餅、ろくべえなどにしていただきます。  「石垣まんじゅう」は、さいの目に切った「サツマイモ」が石垣のように見えるおまんじゅう。九州各地で作られているようです。小麦粉とサツマイモで簡単にできるので、昔は農作業の合間に作って食べたそう。ちなみに「石垣まんじゅう」は、愛知県の郷土料理「鬼まんじゅう」とそっくり。どちらも、それぞれの地域の人々に親しまれ、おまんじゅう屋さんなどで、一年中手に入ります。  おはぎやぜんざい、おまんじゅうなど、「小豆」を使った和菓子も昔ながらのほっこりする味わいです。「小豆」は、疲労回復に良いといわれ、筋肉痛、肩こり、だるさ、夏バテなどにも効果があるそうです。  暑さが続く季節におすすめなのが、「冬瓜(とうがん)のスープ」です。鶏肉と塩味のあっさりとしたスープで、とろりと煮た冬瓜がおいしい。暑い季節になると必ず母親が作ってくれた思い出のスープだという人もいます。薬膳では、冬瓜には身体の余分な水分を排出させる作用があり、むくみや暑気あたりによいといわれています。   戦争やさまざまな自然災害を乗り越えてきた先人たちが、食べ繋いできたものには、理にかなった栄養素が含まれています。そんな食べ物に力をもらって、一日一日を元気に過ごせたらいいですね。

    もっと読む
  • 第601号【ペンギンに会いに行く】

      きびしい暑さが続いていますが、二十四節気では「処暑」を迎えました。夏の暑さが峠を越え、少しずつ涼しくなっていく頃です。夜のベランダでは風がここちよく感じられるようになり、涼やかな虫の声も聞こえます。ささやかな秋の気配にはげまされながら、とにかくいまは、夏の疲れをためないよう、体をいたわりながら過ごしていきましょう。  この夏も、かわいいペンギンたちに会うために、「長崎ペンギン水族館」(長崎市宿町)へ行ってきました。長崎駅からバスで約30分。美しい橘湾が目前に広がる海沿いにあり、前身の「長崎水族館」(1959〜1998)時代からペンギンの繁殖と飼育の技術では日本屈指の水族館として知られています。  入館すると目の前に大水槽が現れます。青く輝く水中をビュンと泳ぐペンギンの姿はとても爽快です。また、岩場でヨチヨチと歩く姿はとてもかわいくて、思わず頬がゆるみます。地球には全18種類いるといわれるペンギン。そのうち8種類(キングペンギン、ヒゲペンギン、フンボルトペンギン、イワトビペンギン、マゼランペンギン、ジェンツーペンギン、ケープペンギン、コガタペンギン)がこの水族館で飼育されているそうです。  意外に思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、ペンギンは、カモメやウミネコなどと同じ海鳥の仲間です。しかし、空を飛ぶことはできません。鳥たちが空中を飛ぶために使う翼は、ひれ状の「フリッパー」と化して、水中で活躍。大水槽でのびのびと泳ぐ姿は、水中を飛んでいるように見えます。  この水族館のペンギンのなかでいちばん大きいサイズが、キングペンギンです。体長約90センチ。飼育エリアの隅で卵を抱えている様子が見られました。長崎でキングペンギンといえば、世界でもっとも長生きしたペンギン「ぎん吉」が思い出されます。1962年(昭和37)に南氷洋で捕獲され、旧長崎水族館へ。それから2002年(平成14)までの約40年間を長崎で過ごし、世界最長の飼育記録になっています。ペンギンの平均的な寿命は20年くらいともいわれるなか、長寿を全うしたぎん吉。飼育スタッフに大切にされ、多くの人々に愛されたペンギンでした。  ペンギンたちは、いずれも個性的。あごのあたりに細目の黒いラインが入っているのがヒゲペンギン。ジェンツーペンギンは、好奇心旺盛で、ものおじしない感じ。目の周りに白い縁取りがあります。世界でもっとも小さいコガタペンギンは体長35センチ。大人になっても赤ちゃんみたいなかわいさです。  飼育スタッフが見守るなか、橘湾に放たれたフンボルトペンギンの姿は、館内にいるときよりは、やはりのびのびとして野性味が感じられます。水上に浮かぶ姿は海鳥らしさがありますが、重いので体の半分が水中に沈んでいます。羽繕いをする姿は、ラッコのようでもありました。   長崎ペンギン水族館は、屋外の自然体験ゾーンもおすすめです。長崎の里山をイメージしたビオトープがあり、植物や生きものなど四季折々の出会いを楽しめます。真夏のいま、池ではスイレンが咲き、ガマの穂の上には、赤とんぼがとまっていました。

    もっと読む
  • 第600号【75年目の夏を迎えて】

     猛暑のなかで花を咲かせるキョウチクトウ。8月9日、平和公園の一角で、白いサルスベリとともに花のついた枝先を風に揺らしていました。乾燥や排気ガスなどに強いことから街路樹や庭木として広く植えられているキョウチクトウ。その花は毎年、広島と長崎の原爆の日の頃に満開を迎えます。75年前、長崎に原爆が投下される直前の朝、この花が咲いていたことを鮮明に憶えているという被爆者の話を聞いたことがあります。ちなみに、広島市は、被爆焼土と化したまちで、いち早く花をつけたキョウチクトウを復興のシンボルとして市花に制定しています。  キョウチクトウはインド原産。日本へは、江戸時代にオランダ船が運んできたとも、中国経由で伝えられたともいわれています。花の色は、赤、ピンク、白などがあり、どこか桃の花を思わせる姿です。そして、葉は細長い竹の葉に似ています。キョウチクトウは漢字で「夾竹桃」と書きますが、「夾」の字には「混じる」の意味があり、竹と桃が混じった姿であることが表現されています。  キョウチクトウの花でひと息ついたあと、平和公園内の『平和の泉』へ。ここで、原爆犠牲者の冥福を祈りました。たっぷりの水を満たした泉の前に設けられた碑には、被爆した熱い体で水を求めさまよい、どうしても水が欲しくて、油のようなものが一面に浮いた水を飲んだという少女の手記が刻まれています。この碑の前に立つと、子どもたちに二度とこのような体験をさせてはならないと誰もが思うことでしょう。  『平和の泉』からまっすぐ歩みを進めると、平和祈念像の前へ出ます。ちょうど、午前中に行われた平和記念式典の片付けの最中でした。新型コロナの影響で、例年よりも規模を縮小して行われた今年の式典。これまでとは違う特別な夏となったことで、多くの人がいつも以上に平穏な日々の尊さや平和について思いを深めたのではないでしょうか。  平和公園に隣接する爆心地公園では、『原子爆弾落下中心地碑』に向かうように地面いっぱいに白いギザギザの線が描かれていました。これは、被爆者の「声紋」をペイントで表現したもので、『声紋源場』と題したアートプロジェクト(〜8月10日まで)。スマートフォンで「声紋」を読み取ると、被爆者の声を聴くことができます。現代ならではの新しい技術で、平和の発信が試みられているのですね。  爆心地公園から、近くの長崎原爆資料館へ向かう途中では、『長崎を最後の被爆地とする誓いの火』の塔が、空に向かって炎を揺らしていました。この火は、オリンピック発祥の地であるギリシャのオリンピアの丘で採火された「聖火」。市民によって毎月9日に灯され続けています。  平和について語ることは、テーマが大きすぎて気が引けてしまうという方もいらっしゃると思います。しかし、それはけしてむずかしい話ではありません。平和は、平穏な日常、ささやかな幸せの積み重ね。きょうの食事を、おいしい笑顔でなごやかにいただくこともそのひとつ。みろく屋が、そんな食卓づくりの一助になれたら幸いです。  ※参考にした本:日本の花を愛おしむ(田中 修/中央公論新社)、ながさきことはじめ(長崎文献社)

    もっと読む

検索