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  • 第641号【新緑の季節の長崎めぐり】

     新緑の季節、どんな連休をお過ごしになられましたか。長崎は期間の後半はあいにくの雨となりましたが、観光スポットはどこもコロナ禍前を思わせる人出で賑わったようです。5月4日には長崎港に4年ぶりに、客船「クイーン エリザベス」(全長294m、約99,000トン)が寄港。シックで優雅な巨大船体を一目見ようと多くの人々が港周辺に集いました。  連休中の雨は、「走り梅雨」を思わせるような降り具合でした。「走り梅雨」は、例年なら5月中旬から下旬にかけて見られる空模様。近頃は、季節のめぐりが前後することもよくあるので、つい先走ったことが頭をよぎります。実際、長崎くんちの小屋入り(6月1日)の頃に咲く諏訪神社(長崎市上西山町)のザクロの木が、すでに橙色の花を咲かせました。そうなると、梅雨入りも早まるのでは?と気になるところです。  諏訪神社からほど近い長崎歴史文化博物館(長崎市立山)へ行くと、「長崎式のこいのぼり」が今年も広場に飾られていました。江戸時代から伝わるという「長崎式のこいのぼり」は、杉の木の先端を残した支柱に、複数のこいのぼりを下げた笹の旗竿を斜めにゆわえてあります。こうすると、こいのぼりは風がなくても絡みにくく、風が吹けば旗竿が動いて、のびのびと空中を泳ぐのです。長崎式の旗竿には、「鍾馗(しょうき)」の絵も欠かせません。「鍾馗」は、中国の伝説で疫病を防ぐ神さま。日本では、その絵は魔除けや学業成就に効くとして、端午の節句のさまざまな飾りに用いられてきました。昔も今も、子どもたちの健やかな成長を願う気持ちに変わりはありません。  江戸時代中期に築かれた庭園が残る「中の茶屋」(長崎市中小島)へも足を運びました。「中の茶屋」は、江戸時代の長崎の花街・丸山を代表する茶屋のひとつだったところ。当時、多くの文人墨客が訪れたと伝えられ、長崎奉行も市中巡検の際に休憩所として利用したそうです。「中の茶屋」の門扉をくぐると、掃除の行き届いた敷石の通路が奥の木造家屋へと誘います。老松など庭の樹木はほどよく整えられ、心地いい静けさが漂っていました。  日本の庭園の歴史をひもとくと、江戸時代は、池をつくり周りに樹木や石灯籠などを配して、歩き巡りながら庭の景色を楽しむ回遊式の庭園が多く造られたそう。「中の茶屋」の庭園も規模は小さいですが回遊式。池のまわりに施された狭い通路をめぐりながら景色を楽しみます。庭園には、稲荷のほこらや鳥居、そして丸山の遊女が献納したと伝えられる石の手水鉢があり、「中の茶屋」の歴史が垣間見えます。   「中の茶屋」の建物は、茶室を擁した木造家屋の2階建て(昭和46年に火災で焼失後、新築復元されたもの)です。広縁や座敷などから古き良き和の風情が感じられます。ここは現在、長崎市出身の漫画家・清水昆さん(1912〜1974)の展示館として利用され、昭和の時代に愛された「かっぱ川太郎」や「かっぱ天国」などの原画が展示されています。「かっぱ川太郎」の無邪気さや家族とのふれあいは、遠くなりつつある昭和の人情味にあふれ、ほっこりします。昭和好きの方にはおすすめのスポットです。余談ですが、清水昆さんゆかりのかっぱの銅像「ぼんたくん」が、中島川沿いにも設置されています。かわいいですよ。

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  • 第640号【2023はじまりの春】

     桜前線はいま、青森県の北部あたり。今週末には北海道に上陸するようです。長崎の桜は先月21日に開花。ときおり雨に見舞われながらも無事に満開を迎え4月初めまで花を楽しめました。それにしても今春の長崎は、4月に入るなり連日初夏を思わせる日差し。近郊の山々もめきめきと新緑におおわれました。長崎のあちらこちらで見られるクスノキは、春の落葉を終え、やわらかな若葉が生え揃いました。黄白色の小さな花をつけるクスノキは、例年なら5月初旬に開花して爽やかな甘い香りを漂わせるのですが、それも早まりそうな気配です。  季節が過ごしやすい陽気に包まれていく一方で、進学、就職、異動など、春の別れと出会いに、さみしさや期待が入り混じる複雑な思いを抱えている方も多いのではないでしょうか。そんな気持ちをくすぶらせながら、「寺町通り」を歩いていると、「浄安寺(じょうあんじ)」の掲示板に、『出会いは人を豊かにし、別れは人を深くする』という言葉が掲げてありました。タイムリーなその言葉に励まされて通りを先に進むと、今度は「延命寺(えんめいじ)」の掲示板に、『諸行無常』の文字が。さすが、お寺さんは心得ているもの。足取りが軽くなりました。  主に江戸時代初期に建立されたお寺が複数建ち並ぶ「寺町通り」。そのひとつ「浄安寺」は寛永元年(1624)創建の浄土宗のお寺です。「延命寺」は、元和2年(1616)創建。山門の門扉は、長崎奉行所立山役所のものが移設されています。山門をくぐると、ふくよかな表情の健康観音像が迎えてくれますよ。  「延命寺」のお隣は、「長照寺」です。手入れの行き届いた庭園のような境内では、古い桜の木がまだ花をとどめていました。桜の終わり頃に咲きはじめる牡丹や藤は開花してすっかり見頃。梅の木は実もたわわでした。そんな「長照寺」の境内を、数人の外国人観光客も楽しんでいました。彼らは、小声で言葉を交わしながら桜を静かに眺めていました。実は、こうした外国人観光客の姿を先月中旬から長崎のまちでよく見かけます。ちょうどその頃から長崎港に国際クルーズ船が相次いで入港しているので、おそらく、数時間の長崎観光を楽しむクルーズ船の乗客なのでしょう。  早朝入港したクルーズ船は、夕方には次の寄港地に向かいます。この日、入港していたのは「ダイヤモンド・プリンセス」(船籍:英国)。全長約290メートルの大型船です。この船を港ごと写真におさめようと南山手の高台へ向かう途中で、県外から観光にいらしたという70代のご夫婦にグラバー園への道を尋ねられました。長崎には若い頃に一度だけ来たことがあるとか。「若い時はずいぶん歩き回ったけれど、いまは、さすがに坂はきつい」と苦笑いされるご主人。らくに高台のグラバー園第2ゲートに行ける斜行エレベータ「グラバースカイロード」をご案内しました。   国内外を問わず、多く観光客の方々がコロナ禍を経験したことで、自由に人と会ったり、旅をしたりすることの喜びをこれまで以上に感じているよう。行き交う観光客のやさしいまなざしに長崎観光の新時代のはじまりが見えるようでした。

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  • 第639号【早春、市民の森へ】

     日ごとに寒さがゆるむなか、長崎では沈丁花が香る季節になりました。早春のつめたい空気に溶け込む甘く上品なこの香り。高校の卒業式シーズンとも重なり、「卒業して何年経っても、沈丁花の香りは当時を思い出させる」という人がいました。一瞬で遠い昔がよみがえる「香り」って本当に不思議ですね。  春めいてくると気分は自然と屋外へ。早春のバードウォッチングを楽しもうと、「長崎市民の森」へ出かけました。長崎市中心部から南西に伸びる長崎半島にある「長崎市民の森」。そのエリアは、長崎市街地を見渡す景勝地のひとつとして知られる「唐八景」から、半島の途中にそびえる長崎市でいちばん高い山、「八郎岳」(590m)までの森林地帯。森林体験館や休養宿泊施設、キャンプ場などが設けられ、「野鳥の森」や「昆虫の森」といった場所もあります。ちなみに「長崎市民の森」を抜け、半島の先端まで南下すると、「長崎市恐竜博物館」がある野母崎(のもざき)地区に出ます。  3月に入ったばかりの「長崎市民の森」は、まだ冬枯れの景色が残っていました。標高300メートル前後の山々を稜線沿いに歩くと、平地ではすでに散ってしまった梅が満開でした。このあたりでは、ツグミ、キジ、カケスなどたくさんの種類の野鳥を観察できるはずなのですが、鳴き声はするものの、なかなか姿が見えません。そんななか、「ツーツーピー」という声が。丸々とふくらんだ(羽毛の間に空気の層を作って寒さから身を守っている)ヤマガラでした。  「森林体験館」のスタッフによると、いまは越冬のために鹿児島の出水市に飛来していたマナヅルやナベヅルが、シベリアなどへもどる時期(主に3月)で、運が良ければ長崎半島の上空を通過し、北へ向かう群れを見ることができるそうです。「森林体験館」の周囲には、めずらしい野鳥がときおり訪れるようで、数年前には目の前の樹木に、アカショウビンが現れたこともあるとか。全長約27㎝、くちばしも体も赤いアカショウビン。マナヅル、ナベヅルらとともに、希少な野生動植物として「長崎県レッドリスト2022」に掲載されています。  今回はめずらしい野鳥との出会いはありませんでしたが、「野鳥の森」の一角にある「橘翔大展望」で、すばらしい眺めを堪能しました。茂木港や美しい橘湾をへだてて島原半島や天草を一望。あらためて長崎をかこむ海の美しさを実感しました。   「長崎市民の森」の帰りに「唐八景公園」へ。眼下に長崎の市街地を見渡す唐八景は、古くから(一説には長崎開港の頃)春になるとハタ揚げが行われてきた場所です。長崎のハタは、空中でハタをうまく掛け合わせ、相手のハタを切り落とすハタ合戦。その昔、春のハタ合戦の日ともなると、唐八景は足の踏み場もないほど混雑。大人たちは赤い毛氈を敷いて陣をとり、三味線・太鼓に興じ、酒を酌み交わしながらハタ合戦を見物したとか。人々は勝負の行方だけでなく、個性的なハタの絵柄(種類は100を優に超える)を見るのも楽しみだったようです。

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  • お客様の声

    娘が修学旅行のお土産に長崎で買ってきてくれました。昔、長崎に旅行に行った時にちゃんぽんを食べてあまりの美味しさに衝撃だったのですが、それを思い出す味でした。コロナ禍で初めて行けた修学旅行。お土産を選ぶのもとても楽しかったようです。みろくやさんのちゃんぽんを選んで良かった!と言っていました。長野県 E・F様普段、野菜嫌いな息子。ちゃんぽんがあまり好きではない主人。2人しておいしいと4人前ペロリ。大阪ではあんかけになるので久びさにGood大阪府 M・Y様

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  • 第638号【長崎の真ん中から見渡す】

     3年ぶりに開催された「長崎ランタンフェスティバル」(1/22〜2/5)が無事に閉幕しました。最終日前夜の2月4日土曜日は立春。「暦の上では春ですが、厳しい寒さが続いています…」というのが、いつもの「立春」ですが、この日の長崎は、文字通り春めいた温かさを感じる天候でした。そのお陰もあってか、約1万5千個もの中国ランタンが施された長崎市中心部は、かなりの人出。ランタンを見上げる人々のマスク越しの会話も、あちらこちらで弾んでいました。 道沿いに延々と連なるランタンは、長崎のまちを縦横無尽に飛び交う龍のよう。新地中華街そばの銅座川では桃色のランタン、眼鏡橋がかかる中島川では黄色のランタンがそれぞれ水面に映って幻想的な景色でした。富を招くという金魚や縁結びの神様「月下老人」のオブジェの前では、ご利益にあやかろうと大勢の人々が集まっていました。 中国の旧正月、「春節」を祝う「長崎ランタンフェスティバル」。今年の干支のウサギにちなんだ大きなオブジェも目を引きました。ちなみに卯年生まれの長崎ゆかりの人物に、松尾芭蕉の高弟として知られる向井去来(1651-1704)がいます。去来は、儒医・向井元升の次男として長崎に生まれ、少年の頃、父に伴って京都へ移住。のちに芭蕉の門に入り、俳人として「西国三十三ケ国の俳諧奉行」と称されるほど高い評価を得ました。 去来が生まれた向井家は、江戸時代の長崎を代表する学問所、長崎聖堂の祭酒(所長)を代々務めた(一時期を除く)家柄です。父・元升は、長崎聖堂の前身である立山書院の設立者で、さまざまな人に広く開放された長崎聖堂は、学びの場として人材を育成、中国との通商や文化交流、儒教の振興に大きな役割を果たしました。あの坂本龍馬も受講したことがあると伝えられています。禅林寺(長崎市寺町)には、長崎聖堂4代目祭酒の文平と5代目の元仲が眠る向井家のお墓があります。 さて、「長崎ランタンフェスティバル」の賑わいのなか、この催しとは別のことで多くの人が訪れた場所がありました。長崎市役所新庁舎の19階展望フロアです。今年1月4日に開庁してから、展望フロアは平日のみの開放でしたが、2月4日から土日祝日も利用できるようになりました。 高さ約90メートルの展望フロア。まちの中心部から見渡すその景色は、長崎港を囲む山々から市街地を見下ろす景色とは違って、より臨場感があり新鮮に映りました。東側から時計回りで、烽火山、英彦山、風頭山、星取山、鍋冠山、そして長崎港の女神大橋と続きます。西側には市街地の向こうに稲佐山が見え、北から東にかけて立山、西山、新大工の街並みが見渡せます。 江戸時代に長崎の風物画を描いた川原慶賀だったら、この景色をどんなふうに描くだろう。ふと、そんなことを思わせる新時代の長崎の眺望。展望フロアの一角には長崎のまちの歴史を映像で紹介するコーナーもありました。観光で訪れる人にはもちろんおすすめですが、新型コロナの影響で、ここ数年帰省がかなわなかった親戚や友人たちにも見せたい故郷・長崎の新景色でありました。

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  • お客様の声

    地元が長崎で、長崎のちゃんぽん・皿うどんと言ったら「みろくや」本当においしいです♪野菜が苦手な子どもでも、ちゃんぽん・皿うどんにするとペロッと食べてくれて「おいしい」と笑顔で言ってくれました!!福岡県 M・K様 祖父の家が長崎で、よくちゃんぽんを食べていました。みろくやのちゃんぽんは先日、初めて食べたのですが、びっくりするくらいおいしくてまたすぐ食べたくなりました。長崎のお土産として周りにたくさん配りたいと思います!!東京都 T・K様

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  • 第637号【尾曲がりねこと家康公】

     今年はどんなお正月を過ごされましたか。九州の三が日は穏やかな天候に恵まれました。その後も、ほぼ冬晴れの日が続き、日中外出すると汗ばむことも。温かいと動物たちも活動的で、中島川ではアオサギ、シラサギ、マガモ、カワウ、カワセミ、イソシギ、ハクセキレイ、キセキレイといった野鳥たちを一度の散歩で見かけることもありました。真冬は、あまり表通りに出て来ない町ねこたちも、道端で日向ぼっこをしたり、じゃれあう姿を見かけます。 町ねこといえば、長崎は、「尾曲がりねこ」が多いことで知られています。通常、ねこのしっぽといえば、しなやかに伸びた長いしっぽをイメージする人が多いと思いますが、「尾曲がりねこ」は、短いしっぽがクルっと丸まり、ボンボンのような形をしていたり、しっぽの先が曲がっていたり、通常のしっぽより短かったりします。その個性的なしっぽを長崎で初めて見た人は、「え?!」「かわいいー!」など、驚きを隠せません。 長崎に、「尾曲がりねこ」が多い理由について。江戸時代、唐船やオランダ船が長崎に荷物を運んで来るとき、積荷をネズミから守るためにねこを乗せていました。その中に、東南アジアや中国南部原産の尾曲がりの遺伝子を持つねこがいて、寄港先の長崎に住み着いたその子孫たちが、いまも町ねことして生息していると考えられているそうです。 尾曲がりは、「錠前」に似たその形から、「かぎしっぽ」とも呼ばれ、〝財産を守ってくれる〟、〝幸運をひっかけてくれる〟として、昔から縁起がいいとされているとか。新年早々、見かけた白ねこは、しっぽが見事にくるりと丸まっていました。ちなみに、ねこにはいろいろな毛色や模様がありますが、全身真っ白のねこは、幸運にちなんだエピソードが多く、こちらも縁起がいいそうです。 道端で居眠りする「尾曲がりねこ」を見ていて、ふと思い浮かべたのが、日光東照宮の「眠り猫」(国宝)です。徳川初代将軍家康公を御祭神とする日光東照宮。その東回廊に施された木彫像の「眠り猫」は、家康公をお守りしていると伝えられています。実は長崎にも家康公を祀る「東照宮神社」があります。 長崎市上西山町にある諏訪神社。その敷地に隣接する長崎公園の一角に、「東照宮神社」はあります。江戸時代、この場所には徳川歴代将軍を祀る「安禅寺」がありました。その本堂や庫裡(くり)は、現在の長崎公園の丸馬場一帯にあったそう。当時は、将軍を祀っていたことから崇敬を集めていましたが、明治維新とともに廃寺となり、御宮は「東照宮神社」として諏訪神社の末社になり現在に至っています。 市民が憩う丸馬場から「東照宮神社」に向かう道すがら、かつての参道跡と思われる石段が見られました。また、丸馬場の入り口には、徳川葵紋を刻んだ石門も残されています。この石門は、文政2年(1819)に乙名(町年寄の下で、実際に各町を支配した地役人)らの寄進によって建立されたもの。徳川家と長崎のつながりを現代に残す大切な遺構のひとつです。◎今年もみろくやの「ちゃんぽんコラム」をよろしくお願い申し上げます。

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  • 第636号【冬のきらめきLove&Peace】

     あっという間に師走がやって来ました。北国では厳しい寒さがすでにはじまっていますが、長崎は比較的暖かで過ごしやすい日が続いています。ただ、この冬の九州は、寒暖差が激しく、急に積雪に見舞われることがあるかもしれないそう。気温の乱高下に体調をくずさないよう、気を付けたいものです。 さて、12月といえば、クリスマスシーズン。長崎の街も夕方になるとあちらこちらでイルミネーションが点灯し、街中を美しく彩っています。新型コロナやウクライナ侵攻のことなど、世界中がむずかしい現実を抱えたまま迎えたこの冬のイルミネーションは、例年よりシックで控えめな印象。その分、「Love&Peace」の強い思いが、静かなきらめきに込められているように感じます。そこで今回は、ライトアップの美しい景観を楽しめるスポットをいくつかご紹介します。  今年9月、西九州新幹線が開業した長崎駅には、ステンドグラスをモチーフにした大きなクリスマスツリーが新駅舎の前に設けられました。ツリーは、万華鏡のように、いろいろな色合いに変化して、駅舎に出入りする大勢の人たちの目を楽しませています。 今年、国の史跡に指定されてから100周年を迎えた出島も、夜間はきらめきのスポットとして注目されています。オランダ商館員の住居や料理部屋、日本人役人の詰所、貿易品を保管する土蔵など、19世紀前半の建物が復元されている、現在の出島。夕方以降、控えめなライトアップを頼りに散策すると、建物の裏手から、ヒョイと地役人やオランダ商館員が現れそうでドキドキ。日中の出島とはまた違った感覚で、往時を想像することができます。 明治期に建てられた旧出島神学校そばの広場には、目にも暖かな黄金色のイルミネーションをまとったモミの木がありました。このツリーは、「オランダ冬至」を祝って設けられたもの(17:00〜21:00まで点灯。12月25日まで)。「オランダ冬至」とは、江戸時代、キリスト教が禁止されていた日本で、出島のオランダ人が「冬至」の祝いとしてクリスマスの宴を行っていたことから、そう呼ばれるようになったものです。復元されたカピタン(オランダ商館長)の居宅の2階には、冬至の宴会の料理が再現されているので、興味のある方は、ぜひ、出島でご覧ください。かなりのご馳走です。 長崎港を見渡す南山手の丘にあるグラバー園も、現在、ロマンチックなライトアップが施されています(〜12/25まで。夜間入園受付終了は19:40)。園内に設けられた大きなツリーは、やさしいブルーのかがやきがすてき。 また、昨年訪れた時は修復工事中だった旧グラバー邸(国指定重要文化財/世界遺産)は、工事を終えていました。グレーブルーの外観や白の窓枠が印象的な温室もきれいに再現。かつてグラバー親子が暮らしたこの住まいは、現存する日本最古の木造洋風建築(1863年建築)。幕末〜明治期の長崎の象徴のひとつとして、これからも大切にされていくことでしょう。◎本年も、「ちゃんぽんコラム」をご愛読いただき、ありがとうございました。どうぞ、良い年をお迎えください。

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  • 第635号【冬鳥と長崎市役所新庁舎】

     立冬が過ぎましたが、長崎はここ2週間ほど晴天が続き、冬のはじまりとは思えないあたたかさです。そのせいか、黄葉がはじまった樹齢300年を超える大音寺(長崎市寺町)のイチョウの葉は、まだ明るい黄色。こっくりとした黄金色に染まるまで、もう少し時間がかかりそうです。 晩秋から冬へ向かうこの時期、楽しみなのは大陸から渡ってくる野鳥との出会いです。散歩がてら野鳥観察をしている中島川には、昨年、初めてカイツブリが渡ってきましたが、今年はまだ見えません。中島川上流では、桃渓橋あたりで、ジョウビタキ(雌)に出会いました。全体的に灰褐色で、尾羽が橙色をしたかわいらしい小鳥です。いちばん高いところにある電線につかまって、「ヒッ、ヒッ」と、しきりに鳴いていました。渡って来たばかりなので、頑張って縄張りを主張していたのかもしれません。 桃渓橋のさらに上流では、採餌中のマガモ8羽(雄4羽・雌4羽)を見かけました。マガモは本来、渡り鳥なのですが、餌が十分にあると渡りをしないケースもあるそう。中島川では一年を通して見かけるので、餌が豊富なのかもしれません。 余談ですが、先月の当コラムでカワウが足で羽繕いしている写真を掲載しましたが、今回も偶然にマガモ(雌)が足で羽を掻いているところを見かけました。どうやら、足での羽繕いは、とくにめずらしいことではないようです。 さて、前述のジョウビタキは、11月に入ってから、市街地や緑豊かな長崎半島の山あいなど、いろいろな場所で見かけるようになりました。長崎歴史文化博物館のある立山地区の山の斜面でも、電線の上から市街地を見渡していたジョウビタキ(雄)がいました。平地とは違い寒かったのでしょう、ふくらスズメのように、ふわふわの羽毛で丸くなっていました。 このジョウビタキの視線の先には長崎市役所新庁舎がありました。旧長崎市公会堂跡地(長崎市魚の町)に建設中の新庁舎は、いよいよ来年1月開庁予定で、外観は概ね完成しています。地上19階・地下1階のビルの高さは90.86m。長崎市中心部にあるビルなかでは、屈指の高さです。市街地のあちらこちらから見えるようになったので、「市役所はどこですか?」と聞かれたとき、道案内が楽になりそうです。 新庁舎で楽しみなのは、なんといっても19階に設けられる展望フロアです。市街地の真ん中から東西南北の長崎の風景を楽しめるとか。いままで見たことのない長崎の街の風景と出会えそうな予感です。「市民会館」電停から見上げるビルの横顔もいい感じ。新時代の長崎のランドマークとして、長崎市民の期待と注目が集まっています。

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  • お客様の声

    小さい頃から、みろくやさんのちゃんぽん・皿うどんが大好きで親戚の家に遊びに行く度に頂いたり商品を送ってもらっていました。今回、久しぶりに長崎の地へ訪れ、買う事ができて、とても嬉しいです。みろくやさん、大好きです!滋賀県 J・K様 ちゃんぽん、とてもおいしかったです。野菜をあまり食べない孫も、たくさん食べていました。水の分量など細かい説明書きがあったので、私でも失敗する事なく作れました。本当においしかったです。茨城県 Y・S様 長崎に親戚がいる知人からいつも頂いているのですが、「本場 長崎の味」ととってもおいしく頂いています。長崎に旅行に行った時、たくさん買って皆に配るほど気にいっています!福岡県 H・Y様

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  • 第634号【羽ばたけ、かもめ】

     関東地方の急な冷え込みほどではありませんが、長崎も先週からようやく日中の蒸し暑さがやわらぎ、ひんやりしてきました。さわやかな秋空のもと、眼鏡橋などの石橋群で知られる中島川沿いを散策すると、アオサギやキセキレイ、イソヒヨドリなどおなじみの野鳥たちの元気な姿がありました。青緑色の美しい羽を持つカワセミは、つがいで現れ、それぞれ岩の上から獲物をねらっていました。このカワセミは、街中の川の生活に慣れたのか、警戒心がややゆるくなっているようです。ツーショットを初めて撮影できました。  この日は中島川で、もうひとつ初めての出来事がありました。それは、カワウが自分の足を使って体を掻く姿を見たことです。中島川で数年前からときおり見かけるようになったこのカワウ。水中での採餌のあと、岩の上に留まってひと休み。濡れた翼を片方ずつ広げて乾かしていたのですが、急に右足をヒョイと上げ、首筋あたりを掻きはじめました。ネコやイヌが後ろ足を使い毛繕いするのは見たことがありますが、鳥も同じようにやるとは…。くちばしを使っての羽繕いとは違い、ちょっとユーモアのある姿でありました。  「鳥」つながりの話題で、この秋、長崎でいちばん注目をされたのが「かもめ」です。先月9月23日、西九州新幹線(武雄温泉〜長崎)が開業。それまでの特急「かもめ」が廃止され、新幹線「かもめ」が運行を開始しました。これにより博多〜長崎が最速1時間20分で結ばれることに(武雄温駅で武雄・博多間を運行する在来線特急列車と対面で乗り継ぐ「リレー方式」)。地元の生活も観光も、利便性の高まりによる活性化が期待されています。  新幹線の開業前、長らくお世話になった特急「かもめ」を写真におさめようと長崎駅へ向かいました。ホームに出ると、その車体の色から「黒いかもめ」と「白いかもめ」の呼び名で親しまれた列車が並んで停車中。いろいろな思い出がこみあげて、感慨深いものがありました。  博多〜長崎を結んだ特急「かもめ」。振り返れば、昭和の時代はベージュ色の「エル特急かもめ」、平成には銀色の「ハイパーかもめ」、そして赤い車体の「KAMOME PRESS」が登場。特急「かもめ」は時代ごとの象徴的なカラーで、多くの人々の人生に寄り添い、さまざまな思い出のひとこまとして刻まれてきました。新幹線「かもめ」もまた、たくさんの素敵な思い出を創ってくれるに違いありません。  長崎駅のホームで発車を控えた新幹線「かもめ」。赤と白のシンプルな外観と、どこかかわいらしい面長の顔に親しみがわきます。発車時刻が近づくと、前照灯が点灯。発車のアナウンスの後、静かに動き出したかと思うと、国道202号の上をまたぎ20数秒ほどでトンネルに入って見えなくなりました。このあと、諫早駅、新大村駅、嬉野温泉駅を経て、武雄温泉駅へ。それぞれ新装したばかりのモダンな駅舎が新幹線「かもめ」を迎えています。   新幹線「かもめ」の運行開始で賑わう長崎駅。この秋、3年ぶりに帰省した知人は、長崎駅周辺の変貌ぶりにとても驚いていました。長崎港が背景に映る新しい駅舎をはじめ路線バスルートの変更や駅前電停のエレベーターの設置など、さまざまな変化が続いています。そのスピード感は、地元の人も驚くほど。長崎駅は、新時代に羽ばたく長崎の鼓動が感じられるもっともホットな場所のひとつになっています。

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  • 第633号【長崎の名月】

     9月は台風シーズン。油断なく、ぬかりなく、いま一度、避難所や防災グッズの確認をしておきたいものです。  先週の台風一過。澄んだ空気の中、雲の表情も次第に秋めいてきましたね。その週末には旧暦8月15日(十五夜)を迎え、中秋の名月を愛でた方も多いのではないでしょうか。この日、関東地方の夜空は晴天に恵まれたようですが、九州・長崎は、雲の多い夜空となりました。それでも雲の切れ間から、ときおり満月が顔をのぞかせ、日をまたいでからは雲の少ない時間帯もあり、十分に満月を眺めることができました。しかも今年は、月に薄雲がかかった状態が多かったことで、光が反射して起きる月光環(月の周りに虹のような輪が見られる現象)も見られました。  『名月をとってくれろと泣く子かな』小林一茶の有名な句ですね。月は、古来から日本人にとって神聖かつ親しみのある存在です。いにしえの人々は、月を詠んだ歌や句をたくさん残しています。江戸時代、中秋の月見は秋の訪れを告げる大切な行事で、宮中はもちろん、武家も庶民の家でも、縁側にススキやハギなどを飾り、秋の収穫物や団子を供えてお月見をしたそうです。宇宙飛行士が月に降り立つ現代にあっても、地球に潮の満ち引きをもたらす月には、人々の心をとらえて離さない不思議な魅力があります。見上げた月の美しさに、思わず手を合わせたり、願い事をしたりしてしまうのは、いまも昔も変わらないのかもしれません。  『彦山の上から出る月はよか こげん月は えつとなかばい』。長崎で、よく知られているこの歌は、江戸時代の狂歌師・蜀山人(しょくさんじん)こと太田南畝(直次郎)によるものと伝えられています。文化元年(1804)9月、長崎奉行所勘定役として江戸から長崎に来て、1年余り滞在しました。歌碑は、彦山からのぼる月がよく見える諏訪神社(諏訪神社斉館「諏訪荘」の前)に建立されています。      諏訪神社には、もうひとつ名月を詠んだ句碑があります。『尊さを京でかたるも諏訪の月』。 長崎ゆかりの俳人、向井去来の句です。蕉門十哲の一人として知られる去来は、長崎生まれ(生誕地は、長崎市興善町の長崎市立図書館あたり)。8歳のとき、両親とともに京都へ移りました。去来は、松尾芭蕉の門弟になってからも、母方の親戚がいる長崎に、たびたび帰郷しています。この句から、長崎が懐かしくてたまらない、そんな心情が伝わってきます。句碑は、諏訪神社の参道の一角にある祓戸神社のそばにあります。  さて、長崎でお月見の時期の定番行事といえば、長崎新地中華街を中心に行われている中国の伝統的な祭り「中秋節」です。今年は、9/9〜9/25まで。昨年は「コロナ」の影響で行われなかったと思いますが、今年は、「コロナ」前まで行われていた龍踊りや中国獅子舞などの催しはないものの、月に見立てた黄色い提灯がたくさん飾られています。虫の声が涼やかに響く秋の夜、黄色い提灯を見上げながら歩けば、心もまあるく、明るくなるよう。ぜひ、お出かけください。

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  • 第632号【ウリ科の野菜で夏を健やかに】

     8月初旬、記録的大雨により被災された東北や北陸、そして西日本各地のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈りいたします。  あらためまして、残暑お見舞い申し上げます。立秋が過ぎ、暦の上では秋。厳しい暑さの中ですが、ここ数日、夜風がかすかに冷んやりとして来ました。セミの鳴き声も晩夏の趣。少しずつですが、涼しい季節へ向かっていることにホッとします。とはいえ、連日の真夏日(30度超え)、猛暑日(30度超え)は、身体に堪えますね。こんなときこそ、野菜をおいしくたっぷり食べられる「長崎ちゃんぽん」は、おすすめです。豚肉や魚介類の旨みが凝縮したちゃんぽんスープの香りが、食欲を目覚めさせてくれますよ。  さて、今回は、夏バテ予防をテーマに、薬膳の考え方で夏場の不調を改善する食材の中から、「ウリ科」の野菜にしぼってご紹介します。まず、はじめは調理いらずで、すぐに食べられる西瓜(スイカ)です。利尿作用があり、むくみ取りや血圧を下げる効果もあるといわれています。からだに熱感があるときや目の充血、喉の渇きにもおすすめです。 西瓜の原産地はアフリカ大陸の赤道近く。日本へは16世紀にポルトガル船が種子を伝えという説や、17世紀中頃、長崎にやって来た隠元禅師一行が種子を持参し、長崎で栽培をはじめたのが最初という説などがあります。  余談ですが、西瓜はペルシャ語で「ヘンダワネ」と発音するそう。スペイン語でレストランのことを「タベルナ」というのと同じく、日本語として聞くと、クスッと笑ってしまう外国語のひとつです。  西瓜と同じく利尿作用があり、からだの熱を取り除く効果を期待できるのが、冬瓜(トウガン)です。熱中症の予防にもなるといわれています。冬瓜と鶏肉のスープは、夏の長崎の郷土料理のひとつ。小ぶりに切り揃えた冬瓜、鶏肉を水から煮て、塩、薄口しょうゆ、酒で味を整えます。食べた後、からだのほてりがスーッと引いていくのを感じます。  独特のほろ苦さが夏の食欲をそそるゴーヤこと苦瓜(ニガウリ)も、ビタミンCが豊富で、夏バテ予防になる食材です。薬膳的には、発熱や多汗を治め、熱中症予防にもなるといわれています。味噌炒めにしたり、パスタにしたり、いろいろな調理法でおいしくいただけますが、薄く切った苦瓜をさっと湯がいて、冷水にとり、ぎゅっとしぼって器へ。かつお節をかけ、お好みの合わせ酢でいただくのがおすすめのひと品です。   胡瓜(キュウリ)もこの時期、積極的に食べたい食材です。90%以上が水分でビタミンやミネラルは少ないのですが、さわやかな香りやパリッとした歯ごたえが夏の食欲をそそります。利尿効果があり、体が熱っぽいときやむくみ、下痢の症状に効果があるといわれています。胡瓜はぬか漬けにすると、疲労回復のビタミンといわれる、ビタミンB1の含有量がぐんと増えます。ぬか漬けは腸内環境も整えてくれる発酵食品。毎日、適量をおいしく食べて、夏バテ予防につなげたいですね。

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  • 第631号【焼きものの町、波佐見へ】

     長崎を含む九州北部地方の梅雨は、異例の17日間という短さで6月のうちに明けました。いきなりやって来た真夏の猛暑のなか街を歩けば、橙色のノウゼンカズラがあちらこちらで目を引きます。開花時期とはいえ、この暑さの中、次々に花を咲かせるなんて、すごい。そのたくましさと明るい色合いが元気をくれます。  さて、梅雨明け直後の週末、焼きものの町、波佐見へ行ってきました。長崎市街地から波佐見へは、公共の交通機関を利用すると2時間ほどかかります(JR長崎駅〜川棚駅下車、川棚駅前で路線バスに乗り換え、「やきもの公園前」バス停下車)。電車では波静かな大村湾の眺め、路線バスでは田園風景を楽しめるので、時間がある方にはおすすめのアクセスです。 近年、波佐見焼は、さまざまな暮らしのシーンに寄り添う多彩でお洒落なデザインの器として注目を浴びています。聞くところによると、お気に入りの器を求めて、関東方面から若い人がよく訪れるのだとか。江戸時代、丈夫で手頃な価格の器として流通し「くらわんか碗」と呼ばれていた波佐見焼。その後も、まちをあげての分業制で、変化する時代に応じた暮らしの器を作り続けてきました。そうしたものづくりに対する柔軟さが、波佐見焼の魅力のひとつになっているようです。  波佐見めぐりのスタートは、「やきもの公園前」バス停そばにあるに「くらわん館」(観光交流センター内)から。1階のショップには波佐見焼の窯元・商社の商品が揃っています。2階は資料館で、400年余りの歴史がある波佐見焼について詳しく知ることができます。また、隣接する「やきもの公園」には、世界の代表的な窯が12基も再現されていて、圧巻です。  観光交流センターで貸し出されていたレンタサイクルで、陶郷・中尾山へ向かいました。のどかな田園風景のなかをいく車道は走りやすく、電動自転車なのでゆるやかな上り坂も楽々。のんびり走って10数分で到着です。 波佐見のなかでも古くから窯業が盛んに行われてきた中尾山。山の谷間の斜面地に立ち並ぶ木造家屋やレンガ造りの煙突が、どこか懐かしい風情を漂わせていました。坂を登りきったところにある「中尾山交流館」は、観光案内所も兼ねたギャラリー&ショップ。窯元めぐりをする前に寄るのがおすすめです。  中尾山では、手彫りの白磁の器で知られる「一真窯」を訪ねました。民家を利用したギャラリー&ショップは、親戚の家に気軽におじゃまする感じです。生地に彫りを入れるオリジナルのカンナは30種類以上。熟練の職人技で模様を施しながら極限まで彫り込み、薄く透けるような白磁の美しさを実現しています。食卓をさりげなく彩る洗練されたデザインで、手に取ると思いのほか軽く、手作りの温もりも感じられました。  山の斜面を利用して築かれた世界第2位の規模を誇る巨大な登り窯「中尾上登窯跡(なかおうわのぼりかまあと)」(国史跡)にも行ってみました。長さ約160メートル、窯室33室。操業開始は17世紀中頃。大量の「くらわんか碗」をはじめ海外輸出用のコンプラ瓶などが焼かれた窯です。現場では、窯の規模の大きさを実感。江戸時代の焼きものの大量生産の様子が想像できました。 まだまだ見どころ満載の波佐見。秋にふたたび行ってみたいと思います。  ◎「一真窯」の「ウェーブ鉢盛」「丸カップセット」は、みろくやの通販でも購入できます。

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  • 第630号【アジサイの季節】

     梅雨前線が沖縄から九州南部へ移りそうだと思っていたら、九州よりも先に関東甲信地方が梅雨入りしました。長崎の梅雨入りは今週末か、来週初め頃になるという予想。とはいえ、6月に入ってからの長崎は、すっかり梅雨めいた空気に包まれ、街角のアジサイも次々に見頃を迎えています。  長崎でアジサイが咲きはじめたのは先月中旬頃。長崎市の市花でもあるこの花は、市民に親しまれ、家々の庭先はもちろん、公園や道路沿いなど、とにかく、いたるところに植えられています。長崎の市花に選ばれた理由は、「オタクサ」というアジサイの異名に秘められたエピソードにありました。  1823年、出島のオランダ商館医として赴任したシーボルト。植物学者でもあった彼は、帰国後に著した『日本植物誌』に、日本原産のアジサイを「ハイドランゲア・オタクサ」という学名をつけ紹介しました。「オタクサ」とは、シーボルトが愛した長崎の女性、楠本滝(くすもと たき)さんの愛称。シーボルトは、ガクアジサイやヤマアジサイなど何種類もあるアジサイの仲間のなかで、ことのほか「ハイドランゲア・オタクサ」に魅せられたよう。『日本植物誌』には、出島の植物園で「オタクサ」の名で栽培していたことも記されています。  落葉低木のアジサイは、丈夫で寿命の長い植物です。毎年、同じ場所で花を咲かせる、馴染みのアジサイがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。知人宅のアジサイは、毎年、1つの株に40〜50個の花を付けます。ずいぶん前に植えたもので、手入れは花期後に枝を深く刈り込むだけ。水やりは、雨まかせだそう。「肥料も与えないのに、不思議よね」と、丈夫なアジサイに感心しきりの知人でした。  6月のまちを歩けば、アジサイ以外の花々も元気に咲いていました。ピンク色の小花をボール状にまとまって咲かせる、ボタンクサギ(牡丹臭木)。形がアジサイに似ています。この植物は、葉っぱをもむと独特の匂いがします。石橋群で知られる中島川沿いでは、かぐわしい香りを放つクチナシやユリ、アガパンサスなどが見られました。  諏訪神社のザクロの花も咲いていました。長崎では庭木として植えている家も多いザクロ。花は毎年6月1日に行われる長崎くんちの「小屋入り」が近づくと咲きはじめます。「小屋入り」とは、その年の「長崎くんち」の踊町や関係者が清祓いを受け、大役の無事達成を祈願するもので、稽古はじめの日ともされています。しかし、残念ながら新型コロナの影響で、今年も「長崎くんち」は中止となり、「小屋入り」も行われませんでした。   長崎市役所別館前のアジサイも満開でした。その通りから裏手に下れば、建設中の長崎市役所新庁舎の大きな建物が現れます。来年1月に開庁が予定されていて、外観もずいぶん仕上がり、19階建ての全体像が見えてきました。見上げれば新時代の到来を感じさせる新庁舎。これからアジサイのまちがどんな変化をとげていくのか、楽しみです。

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