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  • 第652号【春の光景あれこれ】

     長崎ではソメイヨシノの開花が当初の予想より1週間ほど遅れ、3月26日に開花宣言が出ました。その後は、『花開く時、風雨多し』などと昔から言われるとおりの天気が続きましたが、花は何とか持ちこたえ、開花から散り際の美しさまでしっかり楽しむことができました。現在、桜前線は東日本を北上中。長崎では葉桜に移行中です。  「♪チョッピー、チョッピーチョ」。4月に入ったばかりの畑に響き渡ったのはホオジロのさえずりです。『一筆啓上つかまつる』などと言っているように聞こえるといわれる独特のさえずりは、きっと誰もが耳にしたことがあるはず。全国に分布する留鳥で赤褐色の小鳥です。スズメに似ていますが、尾羽が長めでやや大きい。くちばしの横あたりが白いので、ホオジロと名付けられました。畑に現れたホオジロは、好物の虫がいたようで、春キャベツをしきりにつついていました。  近所の学校の校庭にある池をのぞくと、アメンボウがスイー、スイーと水面を行き交っていました。水中をのぞくとオタマジャクシやヤゴも発見。小学生の頃、新学期がはじまったばかりの理科の授業で、教室を出て学校の池や畑をめぐったことを思い出します。オタマジャクシはこれから脚が生えてカエルになり、ヤゴはトンボへと成長します。子どもの頃のワクワクがよみがえる春の光景です。  春らしい光景は、まちなかを流れる川に現れるアオサギにも見られました。その長い脚やくちばしが、赤みを帯びていたのです。これは、「婚姻色」と呼ばれるもので、春の繁殖の季節になると見られる姿です。このとき見たアオサギと同じと思われるのですが、同じ頃、ちょっとめずらしい光景を目にしました。アオサギ、コサギ、カワウの三羽がお互いの姿をすぐ目の前にした位置で佇んでいたのです。ふだんは、それぞれのテリトリーを意識してか、あまり近づくことのない彼ら。このときは、たまたま共通の獲物がこの辺りに集まっていたのかもしれません。お互いに、けして目線を合わせない様子が面白かったです。  春になるとスーパーの鮮魚コーナーの一角に、「マテ貝」が並ぶようになります。長崎で手に入るのは、島原半島の砂浜で採れる「マテ貝」、佐世保の針生瀬戸で採れる「赤マテ貝」があるようです。貝殻の色合いが島原半島のものは黄土色で、針生瀬戸のものはその名のとおり少し赤みを帯びた柄が入っています。採り方も違い、砂浜の「マテ貝」は、砂の中に潜り込んだときにできる穴に塩を入れ、貝がピュッと飛び出したところを捕まえます。針生瀬戸の「赤マテ貝」は、漁師さんが、かぎ針のついた仕掛けを海底の砂に突き刺して採る「突き漁」といわれる伝統的な漁法がいまも行われているそうです。   スティック状の個性的な姿をしたマテ貝。「どうやって食べるの?」と聞かれることがあります。実はアサリと同じ二枚貝で、酒蒸し、バター焼き、佃煮などアサリと同様の調理法でいただきます。旨みがあり、味噌汁にすると濃厚な出汁がでます。身は小イカに似た風味と噛みごたえがあります。ちゃんぽんの具材にしてもおいしいですよ。

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  • お客様の声

    ずっと気になっていた皿うどんチョコレートを購入して食べました。チョコとの組み合わせが、とても美味しくてファンになりました。バレンタインやお土産でこの美味しさを広めたいです長崎県 T・I様義両親からお土産として頂きました。長崎の皿うどんはこちらのものしか購入しないと話をしており私は今回初めて頂きましたが、本当においしくてびっくりしました。家にいながら長崎の味が楽しめて今度はぜひ自分で購入したいと思っています栃木県 H・F様他のメーカーも試してみましたが、「みろくや」さん以上の味には出会えませんでした。食べたくなると通販で取り寄せています。ギフトにしても大好評です。これからも食べ続けます。これからもよろしくお願いします。神奈川県 M・D様

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  • 第651号【節目の春、龍馬に会いに行く】

     小高い丘の上にある中学校の校庭の片隅で、ハクモクレンが咲いていました。真っ白な花びらが青空に映えてとてもきれい。生徒たちも花を見上げながら行き交っていました。ハクモクレンにはいくつかの花言葉があります。そのひとつが、「自然への愛」。空に向かっていっせいに咲く姿が、春の到来を喜んでいるように見えることに由来するとか。そして、「持続性」という花言葉も。これは、ハクモクレンが1億年前の地層から化石が発見されるほど古くから存在することに由来するそうです。 そんなハクモクレンの見頃が、長崎ではいつもより早めに終わりを告げています。寒さと温かさを繰り返しながら本格的な春へと移行するなか、にわかに気になってくるのが、桜の開花です。今年は、平年並みか平年より早めになるそうで、いまのところ長崎では、「春分の日」頃に開花がはじまり、3月末には満開を迎えるという予想が出ています。  開花前の様子が気になって、桜の名所のひとつとして知られる風頭公園(かざがしらこうえん)へ足を運びました。この公園は、市中心部に近い風頭山の山頂にあります。公園の桜並木は、固いつぼみを無数に付けた状態で、幹や枝がうっすらとピンク色を帯びているように見えました。ここで偶然、枝や幹をついばむ小鳥と遭遇。スズメよりも小さくて、丸みのある姿がかわいい。長い尾羽が特徴的な「エナガ」でした。 さて、風頭公園は「坂本龍馬之像」があることで知られています。この日も、この像のある展望台に、入れ替わり立ち替わりで多くの人がやってきました。風頭山は、その麓から山頂にかけて、龍馬ゆかりのスポットがいくつもあります。中腹には1865年(慶応元年)に龍馬が同志と立ち上げた日本初の商社「亀山社中の跡」、そして、龍馬をはじめ幕末の志士たちが参拝したといわれる「若宮稲荷神社」があります。この神社の境内の一角には、令和4年11月に「坂本龍馬神社」が設けられ、龍馬ファンの注目を浴びています。 「若宮稲荷神社」の参道入口そばには、龍馬がたびたび訪れたという西洋料理店の「藤屋跡」があります。いまでは、筒型のポストや古い石垣など昭和の風情が漂う静かな住宅街となっているこの界隈。龍馬が誰かと語りながら同じ通りを歩いたかと思うとドキドキします。そこから、中島川沿いまで下ると、日本初の営業写真館「上野撮影局跡」があります。日本における写真術の開祖、上野彦馬が1862年(文久2)に開業。ブーツを履き、右手を懐に入れた龍馬の肖像写真はここで撮られました。   幕末という激動の時代に、広い視野と行動力で、大活躍した龍馬。進学や就職など人生の節目を迎える人も多いこの季節、明日への期待と不安を胸に龍馬が闊歩した長崎をめぐれば、何だか、前向きな気持ちになってくるから不思議。龍馬は時空を超えて、人々の背中を押してくれる存在のようです。

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  • 第650号【2024年長崎ランタンフェスティバル】

     2月初旬の九州は雨の日が続き、気温は平年よりやや高め。雨量は多くはありませんでしたが、何だか菜種梅雨を思わせました。菜種梅雨とは、菜の花が咲く季節(3月から4月初旬にかけて)の長雨をいいます。すでに長崎ではあちらこちらで菜の花が満開なので、本当に菜種梅雨だったかもしれません。 2月3日節分の日も、あいにくの雨でしたが、社寺の節分祭には大勢の市民が足を運びました。役目を終えた正月飾りなどを鬼火焚きに投げ込み、しばし火にあたる人々。地震で被災した能登半島に思いを馳せ、無病息災を祈願した人も多かったに違いありません。  例年よりもあたたかな2月となり、いつもなら3月初旬に開花して甘い香りを漂わせる沈丁花も咲きはじめた長崎。そんな天候と3連休が重なったこともあり、『2024長崎ランタンフェスティバル』(2月9日(金)〜25日(日)迄)のスタートは多くの人出で賑わいました。今年は4年ぶりの通常開催とあって、催しも充実。長崎の市中心部は約1万5千個ものランタンやオブジェで彩られ、日が暮れると幻想的な雰囲気に包まれています。  新地中華街会場そばを流れる銅座川には桃色のランタンがゆれています。日没間もない紫色の空は桃色のランタンをより美しく引き立てます。一方、眼鏡橋が架かる中島川は、黄色いランタンで彩られています。月を連想させる黄色のランタンが川面にも映り、とてもきれいです。中島川の川沿いには、十二支のかわいいオブジェが設置されていて、干支を順にたどりながら楽しそうに歩く家族連れの姿がありました。 道沿いに連なるランタンは、催しが行われている各会場へスムーズに人々を移動させる案内役になっています。長々と連なるそのランタンは、さながら龍のようで、道行く人々を見守っているかのよう。目にも温かなランタンを見上げて歩く人々の表情は皆ほころび、偶然隣合わせた方とも、「きれいですね」「いいですね」などと自然に言葉を交わす姿も見られました。  各所に設置されたランタンオブジェは、いずれも伝説の神さまや神獣、歴史上の偉人などをかたどった縁起物。中島川からほど近い長崎市役所新庁舎の玄関前には、魔を除くという伝説の神「鍾馗(しょうき)」のオブジェが設けられていました。このほかチャーミングなオブジェも多いので、お気に入りを探してみてはいかがでしょう。  最後になりましたが、今年(辰年)の『長崎ランタンフェスティバル』のメインオブジェは、「九鯉化龍」(ジュウリイファーロン)です。新地中華街会場の湊公園に設置されています。高さ約10メートル。荒波を乗り越えた鯉が鯱(シャチ)や龍に変わって行く様子を表現していて、「出世」や「進歩」を象徴しているそうです。どんなにたいへんな状況も、日々できる範囲で少しずつ乗り越え、よりよい明日へと進歩していく。一緒に、そんな年にしましょう。

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  • 第649号【長崎の正月料理】

     この度の能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。そして被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。地震活動が終息し一日も早く平穏な日常がもどりますようお祈りいたします。  年明け最初の話題は、「ナマコ」です。「ナマコ」は冬が旬の海の幸。長崎では正月料理に欠かせません。薄切りにしたナマコに大根おろしを添え、ポン酢やダイダイ、ユズなど好みの香酸柑橘をかけていただきます。ナマコにはその色合いからアカナマコ、アオナマコと呼ばれる種類があり、大村湾のような内海にいるナマコは身がやわらかく、五島灘など外海にいるものは身が固めだといわれています。 暮れに、親戚から五島産のアカナマコをいただきました。ご存知のようにナマコはぬるりとしているので、包丁がすべらないよう用心しながら内臓を除き薄切りにします。子供の頃、ナマコはその個性的な見た目もあって、本当に変わった食べ物だなと思っていました。コリコリとした噛みごたえはあるものの、明確な味はなく、周りの大人たちに「お腹の掃除をしてくれる」「身体にいい」などと言われながら食べた記憶があります。実際、ナマコは高タンパク質で、アミノ酸やビタミン類も豊富。疲労回復、免疫力アップ、冷え予防などの効果があるらしく、冬の身体にうれしい食材のようです。  長崎生まれの江戸時代の俳人、向井去来は、『尾頭(おかしら)のこころもとなき海鼠(なまこ)かな』という句を残しています。ナマコは尾と頭の区別がはっきりしないと詠んだものですが、去来もまたナマコを変わったヤツだと思っていたのかもしれません。  ナマコのほかに長崎の正月料理として並ぶのが鯨肉です。尾の身、赤身(背中の部分)、ベーコンなど部位ごとにいろいろな種類があります。この正月は、「さらし鯨」(尾びれを薄くスライスして茹でたもの)をいただきました。ちりめんじわのようにチリチリした肉で、酢味噌や酢醤油でいただきます。余談ですが、鯨の流通拠点として賑わった歴史をもつ長崎県東彼杵町出身の知人の実家では、正月の雑煮は鯨肉入りだそうです。  最後に、辰年にちなんで、長崎のまちなかにいる龍をいくつかご紹介します。「龍踊り」でもおなじみの伝説の霊獣・龍は、長崎のまちのいたるところで人々を見守っています。見つけやすいのは、長崎新地中華街でしょうか。中華街入り口の新地橋のたもとに鎮座。そして、中華街の東門にも守り神として青龍が描かれています。ちょっと異色なのが、諏訪神社近くの馬町交差点の西山通り(国道235号線)に設置された龍の電灯です。夜、かわいい表情の龍が高い位置から道路を照らします。さて、2024年辰年の旧暦正月を祝う『長崎ランタンフェスティバル』は、2月9日(金)〜25日(日)まで開催されます。どうぞ、お越しください。  ◎本年もよろしくお願い申し上げます。

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  • 第648号【2023年、師走】

     ビワやヤツデ、ツワブキなど秋の終わりから冬にかけて咲く花をあちらこちらで見かけるようになりました。とはいえ、師走としては異例の暖かさが各地で続いています。長崎でも12月中旬に入ろうとする頃、二日続きで気温が20度を超えました。冬日和というには暖か過ぎる状況ですが、今週末には本格的な寒波が到来するという予報です。極端な気温差は、思いのほか体に堪えます。体調に気を付けて年末年始を乗りきりたいですね。  この秋、長崎市街地のイチョウの黄葉は遅れ気味でした。例年なら葉を落としているはずの12月に、大音寺(長崎市鍛冶屋町)の大イチョウ(長崎市指定天然記念物)を訪ねると、まだ見頃が続いていました。イチョウの葉は、樹齢を重ねるほど小さくなるそうで、樹齢300年はゆうに超えるといわれるこの大イチョウの葉も小ぶりです。四方に伸ばしたいくつもの枝に、こがね色の葉をびっしりとつけ、老齢の美しさをたたえていました。ちなみにこの大イチョウは、長崎の歴史上の著名人が多く眠る大音寺の後山の墓地の一角にあり、お寺の境内から本堂越しに見上げるとその大きさがよく分かります。  大音寺がある寺町通りの近くを流れる中島川では、この秋冬に寒い地域から渡って来た鳥たちを見かけるようになりました。2年前の冬にはじめて確認したカイツムリを、今年は1羽発見。大人の片手に乗るくらいの大きさで、その毛色から若鳥のようです。大の得意の潜水で採餌に励んでいました。このほか、「ヒッ、ヒッ」と甲高く鳴くジョウビタキ、そして、ここ何年も姿を現さなかったダイサギもやってきました。90センチほどもある真っ白な鳥なので、川面に立つと目立ちます。  さて、師走に入り、五島列島在住の知人が、その日釣ったばかりの魚を急ぎ届けてくれました。3匹の新鮮な魚は、いずれもハタの仲間。「地元では、クエとか、アラとかいうけど、本当の名前は知らん。刺身が、うまかよ」とのこと。調べると、赤いのは「アカハタ」、茶色ベースに赤い斑点は「キジハタ」、茶色斑点は、「シロブチハタ」のよう。刺身は、コリコリとした歯ごたえがあっておいしい。煮付けにすると、どこかカレイに似た風味がして、これまたおいしい。あとは、吸い物や鍋にしていただきました。五島の知人と長崎の海の幸に感謝。  今年5月、新型コロナ感染症が、国民一人ひとりの自主的な取り組みをベースとした「5類感染症」に移行してから、徐々に活気を取り戻しつつある長崎。港にはクルーズ客船の寄港が増えました。長崎駅周辺は、コロナ期間中にも着々と変貌をとげ、新しいホテルや商業ビルが完成。現在は、駅舎から国道202号線へとつながるエリア(かつて高架橋があったところ)に、多目的広場などの整備が進められています。   そして、長崎駅から徒歩圏内の浦上川沿いでは、いよいよ来年10月開業予定の「長崎スタジアムシティ」の建設が進められていました。これは、民間会社主導の再開発事業で、サッカースタジアムを中心に、アリーナ、ホテル、商業施設、オフィスなどが併設。サッカーの試合後などに、大勢の観客たちが浦上川沿いをワイワイ言いながら往来する様子が、いまから想像できて楽しくなります。「長崎スタジアムシティ」は、地元長崎はもとより、国内外の多くの人々を巻き込みながら、長崎の素敵な未来ストーリーを創造していく大きな存在になりそうです。 ◎本年もご愛読いただき、誠にありがとうございました。  来たる2024年、皆さま、良い年をお迎えください。

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  • 第647号【11月の夏日を乗り越えて】

     11月のはじめの3連休は、各地で連日の夏日となりましたね。長崎も9月初旬のような蒸し暑さで、道行く観光客は半袖シャツ姿が目立ちました。街路樹のナンキンハゼの紅葉は見られるものの季節の深まりを感じさせるような風景は、まちのなかには少なく、住宅街をぬけ、段々畑が残る鳴滝の山あいまで足を運びました。そこで、ようやくススキやセイタカアワダチソウが群生する秋らしい風景が見られました。この異例の暑さも連休明けの雨でひと区切り。気温は下がって秋らしさがもどってきたようです。  市街地散策の道すがら秋の味覚、「グベ」が実っている様子を目にしました。長崎では、「ムベ」のことを「グベ」と呼びます。子どもの頃、学校帰りに道脇でもぎって食べたことがあるなど、ひとによっては懐かしい思い出と重なる食べ物でもあります。種が多く、食べられる部分は少しですが、とろみのある果肉は甘くておいしい。アケビによく似ていますが、アケビのように熟すと実が裂けるということはありません。また、葉にもわかりやすい違いがあり、「ムベ」は常緑性でツヤのあるしっかりとした葉ですが、アケビは落葉性でやわらかな葉です。  11月の秋晴れの下、長崎港と市街地の景色を撮るために鍋冠山(なべかんむりやま)へも足を運びました。鍋冠山は長崎港を囲む山のひとつで、南山手にあるグラバー園の背後に位置しています。標高約169mの低山で、グラバー園の第2ゲート付近から、整備されたコンクリートの階段の歩道を利用すれば、頂上まで15分もかかりません。頂上には回廊形式の展望台があり、港や市街地はもとより、まちを囲む山々の姿やその向こうの眺望までぐるりと楽しめます。この日は、長崎港内に大きな帆船の姿もありました。11月最初の土日に4年ぶりに開催された『長崎帆船まつり』に参加するために入港した「海王丸」(全長約110m)でした。  鍋冠山からの下山途中、樹木のてっぺんでさえずる鳥を見つけました。人の手が届かないたいへん見晴らしがよさそうな場所です。カメラのズームを通して見ると、モズでした。モズは里山に近い林などに棲息。秋になると見通しのよい高い所で、高鳴きをして縄張りを主張します。このモズも、まさに高鳴きの最中だったようで、喉元を大きく膨らませたり、凹ませたりしながら鳴いていました。   今年は夏の猛暑や11月初旬の夏日など、いつもとは違う気象が相次ぎましたが、秋に大陸から日本に渡ってくるジョウビタキは、例年と変わらない時期(10月中旬)に見かけたので、ホッとしました。長崎の市街地では、この秋も若いアオサギ、シロサギ、イソシギの姿が見られ、次の世代が育っている様子です。これからも、まちなかで生きる野鳥をとりまく環境が、よりよい方へ向かうことを願うばかりです。

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  • 第646号【秋だ!祭りだ!】

     10月に入ってから、中島川ではキセキレイ、ハクセキレイが活発に飛び回る姿を目にするようになりました。ようやく、秋めいて過ごしやすくなってきましたね。食や催しなど、何かと楽しみの多いこの季節を存分に楽しみたいものです。  長崎くんちが4年ぶりに開催されました。今年の踊町(おどりちょう)は、桶屋町(本踊)、船大工町(川船)、栄町(阿蘭陀万歳)、本石灰町(御朱印船)、丸山町(本踊)、万屋町(鯨の潮吹き)の6ケ町。踊町の役割は、本来なら7年毎に回ってきますが、新型コロナの影響で、今回10年ぶりの演し物の披露となりました。  10月7・8・9日の本番を前に、10月3日には、「庭見世(にわみせ)」が行なわれました。これは、踊町が傘鉾(かさぼこ)をはじめ、本番で使う衣装や道具、贈られたお祝いの品々などを披露する催しで、まちはお祭りムードに包まれます。大勢の人々がまちに繰り出し、そぞろ歩きながら見物して回るなか、旧友や知人に久しぶりに再会して声を掛け合うといった光景もよく見られます。ご年配の方々の見物客が多いのも、そうした楽しみがあるからかもしれません。  今年の長崎くんちは、開催期間の3日間のなかで、8日(中日)はあいにくの雨に見舞われましたが、7日(前日)、9日(後日)は、薄曇りの間に青空がのぞき、さわやかな秋風が吹きぬけました。長崎くんちは、踊町の多彩な演し物のほかに、諏訪神社にまつられる「諏訪」・「住吉」・「森崎」の3基のみこしを担ぎ渡る「お下り」や「お上り」、そして踊町の旗印である「傘鉾」が練り歩く「傘鉾パレード」や「流鏑馬(やぶさめ)神事」など見所が満載です。今回も、踊り場や沿道の観客から大きな歓声が上がっていました。  長崎市内では、長崎くんちのほかにも、大小たくさんの祭りや伝統芸能が受け継がれています。例年秋に開催されている「長崎郷土芸能大会」は、そうした各地域のさまざまな伝統芸能を一堂に集めて披露しています。第46回目となる今年は、「長崎シャギリ」、「中尾獅子浮立と唐子踊」、「式見女相撲」、「高島鼓響塾(姫大蛇)」、「長崎女子高等学校龍踊」など5つの民俗芸能が登場。会場の長崎市民体育館の観客席はほぼ満席で、多くの市民が楽しんでいました。来年の開催は11月10日だそうです。 地域の歴史や風土がうかがえる伝統の祭りや芸能。いくつもの大きな時代のうねりを乗り越えて、いまに至っているもののなかには、新しい時代の息吹を浴び、新たな表情で歴史を刻みはじめたものもあります。いずれにしても、そこには、人々が失いたくない大切なものがあるよう。時代が大きく変わりつつあるいま、どうしようもなく消えていくものには、ありがとうを。そして、残されたものは、引き続き先人の思いも一緒に次代へ繋いでいけたらいいですね。

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  • 第645号【初秋、シーボルトを想う】

     いままで経験したことのない猛暑と、厳しい残暑に見舞われたこの夏。そんななか、秋の味覚のザクロがご近所の庭で早くもたわわに実っていました。今年は花も早めに咲いたので、果実も前倒し気味なのかもしれません。  この暑さのなか、いつもと変わらぬ元気な姿を見せていたのが、中島川のカワセミです。石橋のアーチをスイ〜とくぐり抜けて来て、川辺の石に留まり水中の小魚をじっと狙っていました。ブルー&グリーンの美しい羽根の印象から、「渓流の宝石」などとも称されるカワセミ。かつては清流にしか棲まないと言われた時代がありましたが、いまでは街なかの川でも見られるようになりました。けっこう、たくましい野鳥のようです。  江戸時代、このカワセミをはじめ日本の多くの動植物に学名を付け西洋に紹介した人物がいました。出島の商館医フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)です。シーボルトは、日本に西洋医学や博物学などを伝え、日本の近代化に貢献。一方で日本の生物や歴史、風俗など幅広いジャンルの調査・研究を行い、帰国後にまとめた『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などを通して、日本を広くヨーロッパに知らしめました。その功績は、はかりしれないものがあります。  野心あふれる27歳の青年シーボルトが、出島に初上陸したのは、1822年(文政6)8月のことです。今年はシーボルト来日200周年にあたり、シーボルトに関するさまざまな講座やイベント、企画展などが「シーボルト記念館」(長崎市鳴滝)や「長崎歴史文化博物館」(長崎市立山)、「出島和蘭商館跡」(長崎市出島町)などで行われています。  節目の年ということで、今回は思いつく限り、シーボルトの名を刻んだ記念碑をご紹介します。もっとも古いのは、シーボルト自身が1826年(文政9)年に出島内の花畑に建立した「ケンペル・ツュンペリー記念碑」です。先達の商館医ケンペル、そしてツュンペリーをたたえた碑文が刻まれています。この石碑が設けられた頃のシーボルトは、鳴滝塾を通して塾生らとの交流があり、また江戸参府も経験するなどして、日本研究に大きな手応えを感じていたと思われます。石碑は、シーボルトの自信と誇りの現れであったかもしれません。また、出島には、1973年(昭和48)に建立された「シーボルト来日150周年記念碑」があります。細長い碑の上部に、若き日のシーボルトの顔が刻まれています。  「県立長崎図書館郷土資料センター」(長崎市立山)の入り口付近には1879年(明治12)に建立された「施福多(シーボルト)君記念碑」があります。篆書体の題字と碑文の揮毫(きごう)は、長崎生まれの書家・篆刻家の小曽根乾堂によるものです。  「シーボルト記念館」に隣接する「シーボルト宅跡(国指定史跡)」の敷地内には、当時の長崎県知事の発議により1897年(明治30)に建立された「シーボルト先生之宅址」の碑があります。また、すぐそばにある「シーボルト胸像」は、来日100周年記念時に設けられたもの。ちなみに1923年(大正12)10月11日に予定されていた来日100周年記念式典は、同年9月1日に関東大震災が起こったため、翌年の4月に延期して行われています。 節目節目に建立されたシーボルトのさまざまな碑。その大きさやデザイン、碑文に、時代ごとのシーボルトへの関心度などが映し出されているようで、興味をそそります。50年後、シーボルトはどんな節目を迎えるでしょうか。  ◎参考にした本/『長崎市史 地誌編 名勝旧蹟部』

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  • お客様の声

    孫が旅行の「みやげ」だと言ってわざわざ我家に持って来てくれました。おばあちゃん「これ」美味しいよと!本当に味がまろやかで美味しかったです。兵庫県 Y・T様中学生の孫が修学旅行で買ってきてくれました。おじいちゃんの大好物やということを覚えていくれていたようです。具を追加しておいしく頂きました。大阪府 S・U様

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  • 第644号【乗り越えて、平和へ】

     残暑お見舞い申し上げます。キョウチクトウが美しい花を咲かせています。きのう8月8日は立秋で、暦の上では秋を迎えました。この夏はとにかく暑すぎて、外出もままならないという方も多いよう。そんななか、近頃はひんやりとした夜風が吹くようになりました。昼の暑さが厳しいだけに、かすかな秋の気配がとてもうれしい。とにもかくにも、体調管理と台風災害への備えを万全にして、無事に乗り越えていきましょう。  この夏、各地では新型コロナの影響で中止になっていたイベントが次々に再開しています。長崎の夏の風物詩、「長崎ペーロン選手権大会」も4年ぶりに開催されました。「長崎ペーロン」は、江戸時代から続く長崎の伝統文化のひとつです。長崎の津々浦々で継承されているペーロンチームや職域チームが、長崎港を舞台に熱いレースを繰り広げました。 地元のペーロンチームは、いずれも古くから漁港を中心に栄えた地域にあり、今年「一般レース」で優勝した野母崎チームも漁業が盛んなところです。野母崎は、長崎半島の最先端にある地域で、美しいビーチが点在するエリアとしても知られています。ということで、夏らしい景色を求めて野母崎へ行ってきました。  長崎市街地から南へ伸びる長崎半島。緑豊かなこの半島を囲むのは五島灘、東シナ海、橘湾、天草灘。半島の最先端をめざして海岸沿いの車道を南下する途中、岳路海水浴場や高浜海水浴場などの美しい浜辺、ダイナミックな自然美を感じる海岸の岩場、そして沖合に浮かぶ軍艦島(端島)の景色が楽しめます。  野母崎エリアに入り、まず降り立ったのは、「長崎市恐竜博物館」(長崎市野母町)そばの海岸です。潮が引いたときに歩いて渡れる「田ノ子島」が目の前に。海岸には、夏休みの自由研究にしたくなるような個性的な模様の石やかわいい貝殻がたくさん。ちなみに、野母崎では、九州でもっとも古いといわれる「変はんれい岩」が見られるそう。この海岸の岩場もかなり古い地層の現れと思われました。 さまざまな文様の小石を楽しんでいるとき、海岸に流れ込む小さな水流で、かわいい野鳥と遭遇しました。遠目にはスズメのようでしたが、よく見ると、「トウネン」でした。「トウネン」は、シギの仲間のなかでは、もっとも小型。名前は「当年(とうねん)、生まれたばかりと思うくらい小さい」ことに由来するそうです。  「長崎市恐竜博物館」前から、さらに南下して、脇岬海水浴場へ。ここは、1.3Kmも続く白砂の浜で、干潮時には波の浸食でつくられた自然の棚瀬(ビーチロック)が見られることでも知られています。マリンスポーツが盛んのようで、この日は、サーファーとボードセーリングを楽しむ人の姿がありました。このビーチをよく利用しているという方の話によると、いまでは「海の家」が1軒だけになったこともあり、海水浴客はひと頃より減っているそうです。   真夏の空と脇岬の海岸の景色は、とても美しく、波音とともにしばらくその景色を楽しみました。この平和な海や空とつながる国で、まだ争いが続いていることを思うと悲しい気持ちになります。きょうは8月9日。78年前、長崎に原爆が投下された日です。原爆で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、一日も早く世界中に平和が訪れることを願います。

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  • 第643号【梅雨から健やかな夏へ】

     梅雨末期の記録的な大雨による災害で、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。一日も早くふだんの暮らしに戻れますようお祈りいたします。  九州は、そろそろ梅雨明け。長崎では夏の花、ノウゼンカズラが開花しはじめました。猛暑の中、たくさんの花をつけるノウゼンカズラ。明るい色合いが美しく、見かけると元気をもらえます。そんな容姿にちなんでか、花言葉は、「豊富な愛情」「華のある人生」など。原産は中国で、平安時代に薬用として日本に伝えられたそうです。この時期はオニユリも開花。花びらの茶色の斑点が特徴的です。オニユリは葉の根元に黒いムカゴをつけます。それが土に落ち、次の世代につながるのです。ちなみに、オニユリのムカゴも、ヤマイモのそれのように食べられるらしいのですが、苦味があるそうです。  7月を迎える前に各地で30度越えの真夏日が記録されました。年々暑さが厳しくなるこれからの季節を、健やかに快適に乗り切るために、こまめな水分補給はもちろんのこと、部屋のカーテンを遮熱タイプに変えたり、冷感素材のタオルや寝具を使ったりなど、あれこれ対策をはじめている方も多いことでしょう。なかには、最寄りの神社の「夏越の祓(なごしのはらえ)」で厄除けを行った人方もいらっしゃるのではないでしょうか。  全国各地の神社で6月30日に行われる「夏越の祓」。この日、境内には大きな「茅の輪(ちのわ)」が設えられ、参拝者は、『水無月の夏越の祓へする人は千歳の命延ぶというなり』という和歌を唱えながら、「茅の輪」を8の字を描くようにくぐります。この「茅の輪くぐり」をすると、今年半年間の穢れが祓われ、夏場の災厄も免れ、残りの半年を無病息災に過ごすことができると古くから伝えられています。 「夏越の祓」の行事は、神社によってくぐり方の作法や行われる時期に、違いがあります。長崎の諏訪神社(長崎市上西山町)の場合は、6月30日と翌7月1日の2日間。淵神社(長崎市淵町)は6月30日から7月初旬まで行われています。  今回、久しぶりに淵神社へ足を運んだので、隣接する長崎ロープウェイの「淵神社駅」から、ゴンドラに乗って稲佐山の山頂(標高330m)へ行ってみようと思ったのですが、7月14日まで点検のため運休中でした。そこで、急きょ、「長崎稲佐山スロープカー」を利用することに。乗車駅は、稲佐山中腹の稲佐山公園にあります。  2020年1月に誕生したスロープカー。稲佐山の尾根を行くレールは、山頂まで約8分間。全方位を見渡すスロープカーの快適な乗り心地のなかで、近年大きく変わりつつある長崎市街地と、五島灘の眺望を楽しみました。このときスロープカーに一緒に乗り合わせた方が、「長崎は、夜景の美しさはよく知られていますけど、茜色の夕日を浴びたまちの景色も、とてもきれいなんですよ」と教えてくれました。長崎の市街地の西側に位置する稲佐山。地元の多くの人が夕焼けに包まれる稲佐山を見上げることはあっても、逆の景色を見る機会はなかなかありません。梅雨が明けたら、あらためて、茜色に染まった長崎の街を眺めに行こうと思います。

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  • 第642号【6月のあれこれ】

     長崎を含む九州北部地方の今年の梅雨入りは、5月29日でした。雨の季節になると、眼鏡橋そばの川沿いにアジサイの鉢植えがズラリと並べられます。今年も先月下旬から色とりどりのアジサイが道行く人の目を楽しませてくれました。  アジサイのそばに一輪の真っ赤なダリアが咲いていました。美しく、育てやすいダリアは多くの人に親しまれ、今ではたくさんの品種があることで知られています。そんなダリアは、長崎ゆかりの花のひとつです。18世紀後半に原産国のメキシコからヨーロッパに伝えられ、19世紀中頃にオランダ船によって出島に運ばれてきたといわれています。  さて、6月1日は、4年ぶりの開催が決まった長崎くんちの「小屋入り」でした。「小屋入り」は、秋の本番に向けての稽古始めの日とされ、今年の奉納踊りを担当する「踊町」(桶屋町、栄町、万屋町、本石灰町、船大工町、丸山町)は、朝から諏訪神社(長崎市上西山町)に参拝し、稽古の無事と本番での成功を祈願。久しぶりに響き渡ったシャギリの音色が心に沁みました。  6月5日、全国ニュースでは、藤井聡太竜王名人と佐々木大地七段のベトナムでの対局が話題になっていました。佐々木七段が、長崎県対馬市出身ということもあり、地元での注目度はひときわ高かったようです。そんな将棋の大きな話題の中で、ふと頭をよぎったのは、旧長崎街道沿いに残る、「大橋宗銀」のお墓にまつわるエピソードです。  長崎街道の出発地点(長崎市新大工町)から徒歩約30分。長崎市本河内にあるその墓碑に刻まれているのは、「六段上手 大橋宗銀居士」、「天保十年巳亥十一月廿三日 東武産而客死長崎」。大橋宗銀という江戸の優れた将棋指しが、幕末の1839年11月に旅先の長崎で亡くなったとあります。 江戸時代、将棋は、武士階級はもちろん町人や農民の間でも広く行われていました。幕府が認めた将棋三家のひとつ、大橋本家には、実際に大橋宗銀という名の家元がいたそうですが、長崎のお墓の人物とは思えません。  長崎奉行所の犯科帳には、この墓に眠ると思われる人物についての記載が残されていました。名前は大橋宗元。偽の往来手形を使い、将棋指南の目的で長崎に入ったことや、行き倒れになったことなどが記されているとか。想像するに、江戸であぶれたひとりの将棋指しが、自身の将棋の腕だけを頼りに、ときに家元と偽りながら諸国を渡り歩くなか、長崎に流れ着いたのかもしれません。   当時の旅人は、病気やケガに見舞われて旅先で行き倒れるというケースも多く、土地の人が街道脇に旅人の墓を設けることがあったそう。大橋宗元についてのこまかな真相は定かではありませんが、長崎のどこかの家に滞在し、将棋を指南したかもしれません。それにしても、旅ガラスとなった将棋指しのお墓がひっそりと残り、こうして語り継がれるとは、当の本人も想像だにしなかったことでしょう。

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  • お客様の声

    62歳の主婦です。子育て二人の息子の食事を作る時、皿うどんには本当にお世話になりました。「カリカリおそば」が幼稚園の頃の合言葉。今、我が家の新年会の(持って帰る)手土産は「皿うどん・ちゃんぽん」です東京都 K・H様ちゃんぽんに同封されていた「調理油」がとても良いにおいで楽しく料理できました♪手軽にたくさん野菜が摂れるので良かったです!作り方が細かく記載されているのも助かりました(*^^*)香川県 S・H様

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  • 第641号【新緑の季節の長崎めぐり】

     新緑の季節、どんな連休をお過ごしになられましたか。長崎は期間の後半はあいにくの雨となりましたが、観光スポットはどこもコロナ禍前を思わせる人出で賑わったようです。5月4日には長崎港に4年ぶりに、客船「クイーン エリザベス」(全長294m、約99,000トン)が寄港。シックで優雅な巨大船体を一目見ようと多くの人々が港周辺に集いました。  連休中の雨は、「走り梅雨」を思わせるような降り具合でした。「走り梅雨」は、例年なら5月中旬から下旬にかけて見られる空模様。近頃は、季節のめぐりが前後することもよくあるので、つい先走ったことが頭をよぎります。実際、長崎くんちの小屋入り(6月1日)の頃に咲く諏訪神社(長崎市上西山町)のザクロの木が、すでに橙色の花を咲かせました。そうなると、梅雨入りも早まるのでは?と気になるところです。  諏訪神社からほど近い長崎歴史文化博物館(長崎市立山)へ行くと、「長崎式のこいのぼり」が今年も広場に飾られていました。江戸時代から伝わるという「長崎式のこいのぼり」は、杉の木の先端を残した支柱に、複数のこいのぼりを下げた笹の旗竿を斜めにゆわえてあります。こうすると、こいのぼりは風がなくても絡みにくく、風が吹けば旗竿が動いて、のびのびと空中を泳ぐのです。長崎式の旗竿には、「鍾馗(しょうき)」の絵も欠かせません。「鍾馗」は、中国の伝説で疫病を防ぐ神さま。日本では、その絵は魔除けや学業成就に効くとして、端午の節句のさまざまな飾りに用いられてきました。昔も今も、子どもたちの健やかな成長を願う気持ちに変わりはありません。  江戸時代中期に築かれた庭園が残る「中の茶屋」(長崎市中小島)へも足を運びました。「中の茶屋」は、江戸時代の長崎の花街・丸山を代表する茶屋のひとつだったところ。当時、多くの文人墨客が訪れたと伝えられ、長崎奉行も市中巡検の際に休憩所として利用したそうです。「中の茶屋」の門扉をくぐると、掃除の行き届いた敷石の通路が奥の木造家屋へと誘います。老松など庭の樹木はほどよく整えられ、心地いい静けさが漂っていました。  日本の庭園の歴史をひもとくと、江戸時代は、池をつくり周りに樹木や石灯籠などを配して、歩き巡りながら庭の景色を楽しむ回遊式の庭園が多く造られたそう。「中の茶屋」の庭園も規模は小さいですが回遊式。池のまわりに施された狭い通路をめぐりながら景色を楽しみます。庭園には、稲荷のほこらや鳥居、そして丸山の遊女が献納したと伝えられる石の手水鉢があり、「中の茶屋」の歴史が垣間見えます。   「中の茶屋」の建物は、茶室を擁した木造家屋の2階建て(昭和46年に火災で焼失後、新築復元されたもの)です。広縁や座敷などから古き良き和の風情が感じられます。ここは現在、長崎市出身の漫画家・清水昆さん(1912〜1974)の展示館として利用され、昭和の時代に愛された「かっぱ川太郎」や「かっぱ天国」などの原画が展示されています。「かっぱ川太郎」の無邪気さや家族とのふれあいは、遠くなりつつある昭和の人情味にあふれ、ほっこりします。昭和好きの方にはおすすめのスポットです。余談ですが、清水昆さんゆかりのかっぱの銅像「ぼんたくん」が、中島川沿いにも設置されています。かわいいですよ。

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